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さて、前回の続きです。(仕事でバタバタしていて前回から少し時間が経ってしまいました。)
「社会秩序」についてですね。 前々回、ぼくは 『日本の司法制度にとっては、社会正義ではなく、社会秩序を守るためのものである』だなぁ、と強く感じた、と書きました。 このコメントのニュアンスは、うまく書けないのですが「結局、法律がぼくのような力のない市民を救ってくれる、っていうのは夢物語なのだな」という感じです。「ウルトラマン」って、普通のおじさんが着ぐるみ着ていただけなのね。というか。 次の2タイプの上司がいたとして、どちらの部下になりたいか、という問題と同じだと思っています。 上司A:常に正論を言う。ぼくが何らかの抗議をして、ぼくが正しいと上司が認めたら、上司が社内的に立場が悪くなってもぼくをかばってくれる 上司B:長いものには巻かれろタイプ。ぼくが何らかの抗議をしたら『君の言うことはわかるなぁ。でも、会社ってそういうもんじゃないんだよ。』と、ぼくを励ましつつ丸め込む 上の例でいうと、上司Aは「社会正義」、上司Bは「社会秩序」です。 どちらも悪いヒトではありません。そして、AタイプかBタイプか、というのは仕事の出来る出来ないとは本質的には関係ありません。スタイルの違いです。 (そういう意味では、ぼくは「社会秩序」が「悪い」と言うつもりはありません) しかし、部下として「自分がどうしても納得がいかないことがあったときに、どちらの上司に相談したくなるか」ということで言えば、圧倒的にAタイプです。Bタイプの上司には「きっとこのヒトに相談してもムダだな」と思うでしょう。 そして、司法制度も「長いものに巻く」ためのものではなく「納得いかせる」ためのものであるべきであって欲しいな、と思うのです。 一般論として、個人対企業で考えた場合、上の例でもそうですが圧倒的に企業側に力があります。個人は「納得いかないけど会社の秩序に反する」問題については、声を上げづらいのです。 例えば、社長のセクハラを受けた女のヒトは、その会社の中での「社会秩序」を維持するためには、黙っているしかないのです。 その女のヒトが「セクハラけしからん!」と言って立ち上がるためには、何が必要か。「あなたは正しい!」と背中を押してくれるヒトです。で、背中を押してくれるヒトは誰か? もし、司法制度=上司Bだったとしたら、司法制度は絶対に背中を押してくれません。背中を押してくれるのは、市民団体であったりマスコミであったり、個の力が集まってできた「世論」です。 司法制度=社会秩序ということであれば、今の世の中でセクハラを訴えられるのは、「セクハラが間違っているから」ではなく、「世論がセクハラを許さないから」ということになります。それは悲しすぎるな。とぼくは思ったわけです。 ぼくの損害保険の件でもそうでした。初めて個人で訴訟を起こそうとしている。しかし結構お金がかかるということがわかる。お金をかけて敗訴した場合「お金を盗まれた上に、さらに訴訟費用を失ってしまう」ということになる。そして、一般論として「損害保険では、約款に書いていないことを認めるようになると収拾がつかなくなるので難しいんじゃない?」という『アドバイス』を受けます。 ぼくはこう思いました、 「よくわからないけど、ぼくの主張って間違ってるのかなぁ?保険でカバーされていると思っていていざというときに、保険金の支払いを受けられなくて、本当に途方に暮れているヒトって世の中にいっぱいいるんじゃないのかな?それを認めてしまうとそもそも保険会社って何のためにあるのかよくわからなくなるぞ?そんなことはないのかな?」 こうやって個人的に悶々としているところで、弁護士が「勝てるかどうかはわかりませんが、あなたの主張は間違ってない。いっちょ戦ってみますか」と言ってくれたので、背中を押されたわけです。 ・・・続きは(続くのかな)次回です。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2005/01/20 08:48:41 PM
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