本を片手にポレポレ生活…札幌にて

2016/09/09(金)10:29

百枚めの写真

映画(77)

小雨が降り続き一気に秋のたたずまいになった札幌 半袖では肌寒くコットンのカーディガンを着てPCに向かっています。 今日は長男の誕生日 あの日は青空が広がって気持ちの良い日でした。 共働きだったため両方の父母、妹一家、周りの人々に支えられて育ててきました。 私はそのご恩を忘れることはないけれど 貴方にも感謝の気持ちを忘れないでほしい、と思っています。 昨日演劇を見てきました。 昭和四十九年春、ルポライター児玉は九十九枚の写真を手に、東京の下町をさまよい歩いていた。 それは、三十年前、のちに写真家となる桑原甲子雄がシャッターを切った氏名不詳の家族写真 ―かつて、一銭五厘の赤紙で戦場に送られた兵士たちのもとへ届けるため、そして彼らの戦意高揚のために撮られた写真である。 児玉は、下町に暮らす住人たちのおぼろげな記憶の糸を頼りに、その家族たちをやっとの思いで捜し当てて行く。 酒屋、金物屋、蝋燭屋...それぞれの営みの中でさまざまな戦後が刻み込まれていた。 旅の途中で児玉は、出征した兵士の母と妻、娘が暮らす家にたどり着く。 敗戦への坂を転がり始めた昭和十八年、そして高度成長を遂げつつあった昭和四十年代の下町を舞台に、九十九枚の写真に焼き付けられた氏名不詳の人々の愛と哀しみの物語。 昨日はパッチワークのお稽古に行き、 映画に誘われ、そういえば演劇もあったっけ!いつだったかしらと、手帳を見て思い出したくらい まるで期待していなかったのですが、 とても良かった。 兵士に送るために写された99枚の家族写真(桑原甲子男という人が写したもの)が 次々と舞台に写され、 戦地に行った息子や夫や父や兄弟にそれぞれがカメラに向かって問いかけているような 99枚の家族写真が強く訴えてくるものがあり お腹に子どもを宿したお嫁さんを残した息子を戦地に送った児玉家のお芝居が折々入り・・・ 東京大空襲でも焼け残った児玉家では勤労動員に行っていた娘を空爆で亡くし 戦争が終わって息子が夫が父が戻ってくることを楽しみにしていたのに 武器も食料もなく上陸したニューギニアでマラリアで病死したと戦友が伝えてくれて・・・ 涙なしには見られませんでした。 「100枚目の写真」を写す世の中にしてはいけない・・・ というトム・プロジェクトの熱い思いが伝わってきました。 100枚目の写真が戦地にいる長男や次男に向けての私たちの家族写真になるなんて絶対に嫌です。  

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