エレクトーンというガラパゴス 17.
A・クリュイタンス それにしてもこのクリュイタンス盤、私が手に入れた当時でも、そのLPはすでに廉価版で録音は古い、したがって演奏もカラヤンのオートバイで疾走するような、「今ふう」ではないという印象があったのですが、このyoutubeの復刻版は私の手元にあるレコードより、明らかに解像度がいいような気がする。同じ音源でありながら、アナログのレコードでは音割れはするは、高音は抜け切れないは、、低音は濁るという具合で、まあ何回も擦り切れるほど聴いたせいもありますが、各楽器ごとの鮮明さ加減は、今どきのデジタルな音色を彷彿させて、ビックリしてしまいますね。 しかし彼の十八番は、何といってもフランス音楽。手勢のパリ音楽院管弦楽団と残した数々の名盤は、比較的録音が新しかったせいか、今でも十分堪能できます。その中でもバレエ音楽《ダフニスとクロエ》は、私の中の決定版で、とくに第三部の無言劇で奏されるフリュートのソロ(46分ぐらいから)は、これぞ音楽のミューズ、パンの奏でる音かと思わせる、なんと妖しい音色であることか。 繰り返しになりますが、彼の演奏スタイルは「洒脱」さ(俗気がなく、さっぱりしていること。あかぬけしていること )と、「端正」さ(姿・形や動作などが正しくてきちんとしていること )が、ごく自然に溶け合っているという点でしょう。軽妙洒脱(軽やかでしゃれていること。俗っぽくなく、さわやかで洗練されて巧みなこと)な演奏と言えば、今どきの指揮者には、大いにしなやかで、気の利いた演奏を聴かせる人が結構いるのですが、それと曲全体の端正な佇まいを両立させるのは、なかなか厄介なのではないか。 彼の指揮はオーケストラを十分歌わせながらも、決してカジュアルなジャケット姿とはならない。そんなスタイルは古いと言われそうですが、私はむしろクラシックに対する敬意に満ちていると感じます(私自身が古くなったのかもしれません)。 そのあたり、例えばM.ラベルの「亡き王女のためのパヴァーヌ 」とか、「ボレロ 」など、教科書の第一番めに載せるべき、ごく正統的な演奏なのに、各ソリストの歌心をのびのびと引き出して、しかも何の衒いもない。その後の指揮者は、多かれ少なかれこの演奏を意識せざるを得なかったのではないか?かのカラヤンも手勢のベルリンフィルで、負けじと名演奏を披露していますが、いかんせんドイツ的秩序と、フランスの闊達な風土は異なる。五十年代六十年代のフランスは、世界の文化思潮の明らかな一つの中心で、とくに思想哲学界では名だたる英智たちが綺羅星のように世界を牽引していましたね。 クリュイタンスは、そうしたフランス的汎ヨーロッパ文化の音楽の担い手として、期待を一身に集めていたのですが、惜しむらくというか、返す返す残念でならないのは、指揮者として円熟期に入る手前、たしか六十歳ほどで癌で急逝してしまったのです。当時の日本の音楽評論家の中には「世界の医学界は音楽家に対して頭を垂れるべきである」みたいなことを叫んでいる人もいましたね。それほど一回かぎりに終わった彼とパリ音楽院オケの来日公演は、日本のクラシック界にとって衝撃だったのです。 ベートーヴェンを筆頭にドイツ的な、いわば肩肘の張った「真面目な音楽」が、それまでの日本のクラシック界の主潮だったのに対し、彼らは一瞬にして目から鱗を落とすような鮮やかな伝説的名演を残したのでした。今やそうした語り草はLPの復刻版でしか、知るよすがはなくなってしまいました。 あらでものことを言ってもしかたがないのですが、もし彼が存命でカラヤンと同じく1980年代ぐらいまで指揮していたら、世界のクラシックシーンは今とは多少変わっていたのではないか、と私など妄想してしまう。少なくともカラヤンさんは、もう少し「彼らしい」というか、自身の霊感に忠実な演奏を行ったのではないかしらん。クリュイタンスがいなくなってしまった結果、彼に比肩し得るドイツ以外の指揮者がいなくなってしまったのです。 それは彼をドイツのクラシック代表から、否応なくヨーロッパ音楽代表のような立ち位置に押し上げてしまい、聴衆もまたそれを望んだのでしょう。そうした趨勢は彼自身の指揮振りにも、多少影響を与えたのではないか?要は彼が取り上げる音楽は、そのつど汎ヨーロッパ的な精神の体現を求められたということです。で、時には彼自身の意にそぐわない音楽も、取り上げざるを得なかった場合もあったのではないかしらん。 彼らの一世代前のクラシックシーンと言えば、ドイツならご存じフルトヴェングラー、イタリアならトスカニーニ、フランスならP・モントゥーといったカリスマ的指揮者が鼎立して、それら全体が醸し出す「多様性」の花びらこそ、汎ヨーロッパ的精神の希望を形作っていたと思うのですが、クリュイタンスの死後、何となく貧寒な相貌に変わっていったような気がしたのは、私だけでしょうか。 クリュイタンスという、そろそろ忘れかけている指揮者について、まとまって話する機会はたぶんそうそうないと思うので、横道と知りつつ長話になってしまいました。