テーマ:好きなクラシック(2299)
カテゴリ:クラシック
バーブラ・ストライザンド 2. 平原さんの音楽を基点に「発語の力」のようなことを考えているのに、なぜかB・ストライザンドの話になっています。でもなつかしいので、まあいいじゃないですか。内容的にも興行的にも残念な結果に終った「愛のイェントル」ですが、それにしてもプロデュースから脚本、主演、監督、主題歌まで、ほぼ彼女一人で作ったようなこの映画。相当思い入れのある企画だったのでしょう。 その第一の理由は、明らかに彼女がユダヤ系ロシア移民の子で、自身のアイデンティティを考えてみたいという思いがあったからでしょう。その意味では世代は違いますが、同じニューヨークで活躍した指揮者のバーンスタインも似たような経歴で、強くユダヤであることにこだわっていましたね。 私はしかしそのほかに、彼女は自身の音楽の由って来るところのものを、もっと深く見つめてみたいという思いもあったかもしれないとも考えてしまう。それは何もバーンスタインのように、ユダヤ系の音楽に深入りするということではなく(まあ「愛のイェントル」では、内容から言ってもユダヤの音階が散見しますが)、そんな限局した話ではなくて、広く西欧音楽の末裔としての「自分の音楽とは何か?」というようなことも、あるいは考えていたのではないかしらん。 こんなことを言うのは、先の「クラシカル・バーブラ」の中には、次のような曲も含まれているからです。シューベルトの歌曲「水の上で歌う Auf dem Wasser zu singen」なのですが、ミュージカルスターとして第一歩を踏みだした彼女が、ルグランに出会って一皮向けたように、クラシックの歌曲に新たな音楽のミューズを見出したのかもしれない。この曲、確か同じころのアメリカのテレビショーで彼女が歌っていて、思いっきりドイツ語の子音を強調した歌い方に笑ってしまったことを覚えています。 彼女の面白いのは、あれだけミリオンセラーのLPを連発しながらも、本人のオリジナル曲は意外に少なくて、ほとんどが他の歌い手やシンガーソングライターの曲のカバーで出来上がっていることで、先の「ストーニーエンド」もローラ・リニーの曲ですよね。中には一人デュエットで、二つの既曲を組み合わせた「One Less Bell To Answer/a House Is Not A Home」のように、ほとんどオリジナルな作品に仕上がっているものもありますね。 これなど、カバーというよりリメイクと言っていいのではないか?否、むしろ彼女がカバーしたことによって、忘れられていた曲が見直されるというか、ちょうどイチローが年間最多安打を達成したとき、J・シスラーという忘れ去られたヒットメイカーに脚光が浴びたように、それらは生き生きと蘇るのです。こうなると逆に彼女がカバーすることによって、元の曲やシンガーソングライターに箔がつくという感じにさえなってますね。 この曲の入ったアルバム、確かズバリ「バーブラ・ジョーン・ストライザンド」(1971)と銘打ったLPで、そのほかにもジョン・レノンの「マザー」からキャロル・キングの「ビューティフル」まで、ほとんどアメリカのポップスを渉猟し尽くして、「私ならこう歌う」と言っているかのような、かなり挑戦的な中味になっていました。 とはいえ、今の私にとって、彼女の歌唱で一番のお気に入りというのは、やはりもう少し肩の力の抜けたアルバム「ソング・バード」(1977)の「You Don't Bring Me Flowers」ですね。これもニール・ダイアモンドの曲のカバーで、このブログではすでに二回ほど取り上げました。 それにしても繰り返しになりますが、なぜか彼女は日本ではあまり人気がないですね(日本公演をしていない大物歌手の一人なのだそうです)。というか、あるいはひょっとして、日本人はこうしたあちらの「本格派」が、案外苦手なのかもしれない。それはおそらく、日本の音楽市場が(演歌は別として)もっぱら若者中心に構成されて来たこととも関係あるのでしょう。
お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2018.03.29 17:32:39
コメント(0) | コメントを書く
[クラシック] カテゴリの最新記事
|
|