"地道"の行き先,7/4塩原温泉痛車MT
トンネルがあるなら明るく照らせばいい。照明なら入り口から運んでくればいい。出口があるなら入り口もある。そのうち皆と一緒に出ればいい。はい。ふれしの「続きです」※前回を読んでないのなら,読んで時を戻してください→ここよ。というわけで今宵の報告書はこちら。7/4塩原温泉痛車ミーティングこんな短期間の合間に塩原行ったのは初めてではないでしょうか?ふれしのくんを痛車にするほど縁あれど,実はそんな頻繁に出かけてはいないのです。ふれしの「ウチらとややちの出会ったタイミングがまずかったのが大きいだろ」そう。塩原温泉,その温泉むすめである塩原八弥ちゃんとの出会いは去年夏。その時は高丘さんが前職のブラック企業により精神がやられていく真っ只中。同時に極度の財政難にも突入していった時期。出だしは華やかだったものの,当ブログは開店休業状態で話を出したのはTwitterだけ。後に休職→転職&極貧生活突入と言う結果となり,そもそも埼玉県内から出ることすら困難という事態になったのです。ふれしの「なんで塩原行きが去年10月〜今年3月まで中断する羽目になりました」正直言って,これで縁切れたかもとすら思った時もありました。でも3月に行った時,その不安は全て払拭されます。この時,最初に行ったお店は栄太楼さんだったんですが,高丘とはるちこを見るなり「お久しぶり〜」と返していただいたのです。塩原との縁は切れていない。この事実から先はものすごいスピードで展開が変わっていきます。財政難も最悪の状態からはゆっくりと解消へ向かい,ドール陣からのロケ地としての評価の高さも手伝い,行く回数は増えていきました。極め付けはふれしのくんの痛車化です。これで名実ともに塩原への縁は強固なものになりました。そして我々は7/4を迎えたわけです。イツカ「そう,迎えたんだが…」イツカ「雨か…」予報は覆りませんでした。ただ当初の予想よりも天気は遥かに良く,曇りに近い天候になるタイミングもあったほど。これなら痛車イベントは普通に開催できます。ふれしの「ククク…痛G程度は普通にかじっている痛車ユーザーならこんな雨,晴天に等しいくらいだぜ」そんなことも多々ありましたなあ。ドール陣からは温泉むすめへ最初に触れた人物であるイツカさんを抜擢。ロケは中止でしたが,それでも任務はちゃんと用意されています。ややち物販の手伝いです。湯荘白樺の岳人さんとえくぼのお二方に混じって物売りをしていました。途中からは三笠軒スタッフ,ほへし氏が夜鍋をして錬成した小さいややちも加わって合計5名+来場の方々で賑やかな店番となったようです。そんな中,高丘は痛車撮影です。今回は天候も考えて短期決戦を選択。温泉むすめの痛車に絞って撮影しました。ふれしの「本当はあと2台ほどレイヤーさん込みでの個人撮影依頼を受けてまして,それもこなしています」よってお見せするのは温泉むすめの痛車となります。とはいえ台数的には日本に今いる温泉むすめ痛車の大半が集まったというなかなか濃い内容の写真となります。では見ていただきましょう。ちなみにアルバムはこちらです→飛びます。以下,注意書き。・オーナーさんとレイヤーさんはご自由にお使いください。それ以外の方は無断使用転載を禁止します。・ナンバー隠しご容赦ください(削除依頼随時)。・EXIFデータは絶対に消さないでください。いやあねえ…ふれしのくんをイベントで撮る日が来るとはねえ。ふれしの「それな」しかも10年ぶりの痛車イベントに結果がつくことになろうとは。塩原MT閉会式 https://t.co/FaX1UbXnPh— ぽにおかこ(高丘湖) (@Kouichi_Takaoka) July 4, 2021ふれしのくん,観光協会の賞で入選。ふれしの「たまげたなあ」しかも,この話には続きがあります。ふれしのくんを選んだ本人にお会いしたからです。イツカ「おお」ふれしのくんを選んだのは満寿屋さんのご主人(協会副会長)。イベント閉会後,お風呂に入りに行ったのがたまたま満寿屋さんで,入り口にいたご主人が…ご主人「イベントお疲れ様でした〜。そのクルマを選んだの私なんです〜」と開口一番話していただいて…。入浴後にいろいろとお話をいただきました。・選んだ理由は紅葉(←塩原の名物)をデザインのメインに据えていたのが好印象だったから。・塩原温泉自体は痛車やレイヤーさんを受け入れる下地を十何年も前から作り続けてきた。・実際に痛車イベントも過去に一度やったことがある(かつての痛車ルD関係者主催)。・この下地があったからこそ塩原八弥ちゃんがここまで成長することができた。・そこに若い面々がちょうどいい形で入ってきてくれたのもよかった。・自分たちは出資することがメインになるが,今後もしっかり支えていきたい。これを見ていただければわかる通り,今回のイベントはポッと出てきたものではないんです。ふれしの「大洗にも通ずるところがありますな」ありますが,地道という点では大洗以上のものを感じます。まず最初はレイヤーさんから。ゆっくりと,地道に門戸を広げて,いざややちが登場。その魅力を見つけた若い関係者と理解あるベテランとが力を発揮。ややちを応援するための『プロジェクト88』発足から1年で観光大使就任という偉業の裏には,こんなバックボーンがあったわけです。この話とは別に,Twitterで岳人さんがこんなことを語っています(主たるところは一部にあった批判コメント等々に対して)いまの観光業界は、いわば末期の患者さんのようなもの。30~50%の保険(補助金)がきくけど高額な治療を施すか、無利子無担保でお金借りて延命治療をするか、自費で民間治療や体質改善するか、新薬(ワクチンやGOTO)の効果を期待して耐えしのぐか、ただ座して死を待つかの選択を迫られている状況です。— 杉山岳人 塩原温泉 湯荘白樺 (@siobara) July 5, 2021各観光地でも色々な取り組みで冷えきった観光需要を掘り起こそうと必死に取り組んでいます。塩原温泉で行っている温泉むすめプロジェクトもその一つです。温泉地にそぐわない、痛々しい等の批判は想定内です。始めてみると反応が早いし、若いお客様も明らかに増えました。しかも何度も何度もリピート— 杉山岳人 塩原温泉 湯荘白樺 (@siobara) July 5, 2021してくれます。今回の痛車イベントは、温泉むすめを通して塩原温泉が好きになった若者土田君から提案されて、地元が全面的にバックアップする事で実現しました。彼は事前に何度も塩原に来て、前日には仲間と準備をして当日を迎えました。約50台のカラフルな痛車が温泉街を彩り、— 杉山岳人 塩原温泉 湯荘白樺 (@siobara) July 5, 2021多くの若者が温泉街のを行き来していました。しかも皆とびきりの笑顔で。こんなに若者で賑わった塩原温泉は初めて見たかもしれません。温泉むすめ塩原八弥ちゃんを降臨させてくれたエンバウンド様と主催の土田君には感謝しかないですし、やって本当に良かったと感じています。— 杉山岳人 塩原温泉 湯荘白樺 (@siobara) July 5, 2021私たちは座して死を待つことなんて決してしません。石にかじりついてでも塩原温泉を次代に残していきたいのです。そのためであれば何だってします。ご批判もありがたく頂戴いたします。今後とも塩原温泉をどうぞよろしくお願いいたします。— 杉山岳人 塩原温泉 湯荘白樺 (@siobara) July 5, 2021この2つの話を見るだけで,塩原MTが如何に大事なものだったかを誰もが理解できるでしょう。そして来年,このイベントは間違いなく今度こそ晴れの下で行われるはずです。お疲れ様でした。…となれば我々も何かしら努力をしなければなりませんなあ。ふれしの「横サイドか」ええ。もちろん考えています。ただこれは来年のお話。ゆっくり準備してきましょうや。まずは…貯金からですねえ(白目)