3期 8 母原病
「母原病」という響きは聞いた事があるでしょうか。この題名をつけるのはとても戸惑いがありましたが、一度は気持ちの上で決着(?)をつける必要があるので書きました。 長男は高校生になり、まぁ風邪を引いて学校を休む事が殆ど無く、毎日楽しそうに学校へ行っていました。 小さい頃は 小児喘息があり季節の変わり目はいつも病院通いでした。小児喘息になったとき(これはどなたでも経験あるのでしょうが)「母の家系に問題あり」的な言葉はよく頂戴しました。又喘息は「母原病」でもあると。つまり病気は全て母の管理責任の問題であり、原因は全て母親にある・・・という事のようです。因みに母原病とは↓「母原病(ぼげんびょう)とは、精神科医の久徳重盛による造語である。1970年代半ば、久徳の著書『母原病』がベストセラーになった。この本の主張は、子どもの身体的あるいは精神的な病気の多くは、母親の子どもへの接し方に原因があるというもので、「母」に「原」因があるので「母原病」と呼ぶ。高度経済成長期、オイルショックを経て、当時の子どもを取り巻く状況は複雑化し、現代に通じる様々な問題が起き始めていた。その代表例として不登校(当時は「登校拒否」と呼ばれるのが一般的)の問題があった。久徳は「登校拒否は母原病」と主張し多くの母親が「自分が悪いのだ」と自責の念に駆られた。現在ではその説はほとんど事実上の説得力を持たなくなっている。」喘息だけではなく、「反抗」についてもやはり「母原病」をからませられました。受験期は丁度反抗期と重なります。又 受験などは大きなストレスを感じるものでしょうから、どうしても、周りにいる一番身近な人に甘える=反抗するのが自然の成り行きなのだと思います。「育て方が悪い」「勉強のさせすぎ」「期待のかけすぎ」「母親が働いているから甘えたくて病気が重くなる」まぁ 色々な言葉オンパレードでした。結論から言えば、このような言葉のシャワー(陰なるシャワーも多かったです)を浴びたお陰で、「相手の気持ち」をよくよく考える性質になりました。又こういった言葉を全て受け止めそれに対峙していかねばならない覚悟を持ちました。もちろん結果がどうであれです。勉強に関して言えば私としては常に良い環境を整えてあげたかったまでです。環境を整え、後はその時その時の成長に応じ子どもを支える・・・この信念をつらぬき通す事が 「私らしさ」だと思いました。またまたここで登場しますが、最後に内藤多仲(東京タワーの設計者)の言葉。「今の私があるのは,教育熱心な母の慈愛の賜物です」人気blogランキングに参加しています。クリックして下されば嬉しいです。人気blogランキングへ