ALWAYS 続・三丁目の夕日と「岩戸景気」
妻と三男の三人で、「ALWAYS 続・三丁目の夕日」を観に行きました。「泣ける映画」との評判でしたので、身構えてはいたのですが・・・泣いてしまいました貧しいけど、一生懸命生きていれば必ず夢は叶う。多くの人々がそう信じ、お互い助け合っていた。そうした「優しい時代」の、人々の心の通い合いにぐっとくるのでしょうね。舞台となった昭和34年春、いったい日本経済はどういう時代だったのかな。映画を観ながら少し気になったので調べてみました。内閣府の「景気循環日付」によると、戦後景気の第4循環の拡張局面の初期。「岩戸景気」と呼ばれたこの景気拡大は、42ヵ月間続きました。中流層が拡大し、スーパーマーケットの登場に代表される大量消費社会が始まりつつある時代で、人々が自然と「頑張れば明日はきっといいことがある」と思えるようになりつつあったのでしょうね。同時に、昭和34年春は、「なべ底景気」と呼ばれる第3循環の後退局面(昭和32年7月~昭和33年6月)がおわってから1年も経たない時期。この後退局面では、産業ごとの成長格差が目だったと言われています。戦後直後の日本経済の主役であった石炭や海運業が大きな打撃を受ける一方、電気・精密・自動車といったその後の日本を支える加工産業は着実にその地歩を固めていました。街の修理工場であった「鈴木オート」もその波に乗りつつあったのでしょう。一方、鈴木オート社長の則文(堤真一演じる)の親戚が、事業で失敗し、一人娘を鈴木オートに預け、ひとりダム工事の現場に向かいますが、彼はもしかしたら海運業か何かで戦後に身を立てたのかもしれません。ただ、その後の景気回復の力強さが、彼に比較的早く立ち直る機会を与え、1年ほどで娘を迎えに来させるに至ったと思われます。その後、東京五輪を経て、昭和40年から日本はいざなぎ景気(57ヵ月間)に突入していきます。高度経済成長の中で、三丁目の人々はどう変わって行くのか・・・観たいような観てはいけないような・・・・そして、そのいざなぎ景気すらも超えた戦後最長景気のいまの日本に、これほどの夢や人々の助け合いの心がどれぐらいあるのでしょう・・・・思わず涙するだけでなく、ふと考えさせる映画でありました。