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オキナワの中年

オキナワの中年

うらそえ文芸8号

 朝刊 1版 文化9面(月曜日)
寄稿 写有
[文芸評論]/大野隆之/うらそえ文芸8号/戦争と平和、沖縄文学語る
 『うらそえ文芸』第八号が刊行された。一九九六年五月、創刊号が刊行されて以来着実に歩み続けた本誌は、質量ともに充実を図り、八号においては創刊号のほぼ一・五倍の分量にまで成長している。分量のみならず、状況論、歴史学、華道茶道にまで及ぶ本誌の多様性は、既に狭義の「文芸誌」の枠組みをはるかに超え、沖縄を代表する総合雑誌という意味合いをも持つ。市町村名を冠した文芸誌は日本全国に無数にあると思われるが、その中にあって本誌は、最高レベルの一冊とみて間違いないだろう。

 巻頭では「沖縄文学の現在と課題」と題し、長く本誌の中心を担ってきた編集長の星雅彦氏、芥川賞作家で本誌の発展の起爆剤とも言える又吉栄喜氏、若手の沖縄文芸批評を代表している新城郁夫氏による鼎談が行われている。この鼎談においては、又吉氏の創作姿勢が細やかに語られ、沖縄文化の現状に対して強い危機意識を持つ新城氏と、比較的クールに現実をとらえる星氏との認識の違いなど、興味深い点も数多いが、やはり全体としては消化不良の感が否めない。作家と批評家との同席は、時にスリリングな展開を見せるが、やはり面と向かっては切り込めない事も多く、作家同士、批評家同士の座談会ほどには熱しきれないことが多いようである。


 本誌八号の特集は「戦争と平和・沖縄の立場から」である。これは本誌第五号の特集「戦争への道・平和・歴史観」を引き継ぐもので、前回は先の大戦の記憶に重点が置かれていたのに対し、今回の特集ではイラク戦争直前の段階での状況が強く意識されている。ちなみに原稿の締め切りは、本年二月末と思われ、当然ながらイラク戦争開戦後の展開は含まれていない。執筆者には本土でも著名な、学者、ジャーナリスト、作家等、地方の文芸誌では通常あり得ないような錚々たるメンバーが並び、激動の中にある現在という状況が語られている。


 一読して感じたのは、分析的な宮里政玄氏の「沖縄の現状と課題」を別にすれば、基本的に一つの思想的立場に集中しているということであった。護憲、絶対平和主義、といういわば戦後沖縄の伝統的な立場である。もちろん「沖縄の立場から」と銘打たれている上、イラク戦争は明らかに大義無き戦争であるから、ある程度この立場が強調されるのは必然的なことだともいえる。しかし昨年九月、北朝鮮による拉致、核開発が明らかになってから急変しつつある世論に対して、一体どの程度説得力を持つのか、非常に疑問であるといわざるを得ない。特に拉致に関しては沖縄県民にも被害者である可能性が指摘されている。有事法制に関しても地上戦を経験した沖縄だからこそ、国民保護について有効な提言が行える、というような意見もある。およそ「沖縄の立場」というのは長く固定されがちであったが、より多様な議論が必要な時期にきているのではないだろうか。


 「短編小説集」として四編の小説が掲載されている。そのうち伊良波盛男氏の「海を越えて」は、新しいタイプの沖縄文学としての可能性を感じた。第二回山之口貘賞を受賞し詩人として著名な伊良波氏は、南海上のどこかにある理想郷をめざして熊野から出発する補陀落渡海(ふだらくとかい)と、県内の熊野信仰を組み合わせて、独自の歴史ロマンにしたてあげている。主人公の僧を、非常に多感な青年とした点が新鮮であり、随所に見られる詩人ならではの表現も効果的である。


 韻文は俳句が八句、短歌十五首、琉歌二首に加え、詩には同じページに「詩に関するエッセイ」を付し、現在一般読者に敬遠されがちな現代詩の発表形式として工夫がなされている。昨年九月に急逝した画家であり詩人であった伊智稔氏の追悼特集も充実している。


 その他多様なテーマを取り上げたエッセーが十一編。特集の中に位置づけられているが、上原正三氏のエッセーは、戦後日本を代表するサブカルチャー「ウルトラマン」を考える上での資料的な価値が高い。多様な内容に満ちている本誌は、広く沖縄の文化状況を知るための必読の一冊であるといえよう。(沖縄国際大学助教授)



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