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オキナワの中年

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目取真俊『署名』

新報文芸/大野隆之/目取真俊『署名』/゛不条理゛の地平開く/日常に潜む暴力の恐怖
2000/04/29 琉球新報


 現代小説がパックツアーのように安全になり、軽くてポップな「J文学」なる造語まで一般化しつつある今日、目取真俊は文学というジャンルが本来持つ危険性、あるいは毒を捨てないまれな作家となりつつある。「署名」(『小説トリッパー』冬号)を読み、改めてその感を強く持った。読者の神経に直接衝撃をあたえるこの作品は、誰にでも薦められるような人畜無害なものではない。
 「署名」という作品は舞台こそ沖縄であるが、沖縄性をほとんど前面には押し出していない。戦争はもちろん、基地や政治などの状況に対するテーマ性もない。あたかも状況に対して発言する論客としての目取真と、小説家としての目取真とが分業しているのか、と錯覚を起こすほどである。そして状況的なテーマをはずした分、目取真文学における暴力性が、純化されたかたちで現れている。
 作品は新城という補充教員の何の変哲もない日常から始まる。ある時、同じアパートの座間味という男に、周辺の野良猫を駆除する署名運動に協力するよう誘われる。大量の猫の排せつ物を不快に感じていた新城は引き受けるのだが、ここから彼の日常は不可解なものへと変ぼうしていくのである。当初は座間味のあまりのなれなれしさを煙たく思う程度だったのだが、座間味は単に署名運動をしているだけでなく、実際に猫を殺していた。しかもアパートの他の住人達は、猫を殺しているのが新城だと思いこみ始める。やがては新城の勤め先に「猫殺し」の告発文が届くまで、事態はエスカレートしていく。
 これまでの「不条理」と呼ばれる文学がそうだったように、この作品では新城がなぜこのような目に遭わなければならないのか、一切明らかにされていない。教員採用試験合格を目指すごく普通の青年であり、補充教員として一定の評価を得ている。人に恨まれるような面は全くない。それがなぜこのような不当な経験を重ねなければならないのか。また座間味という男の意図も全く不明である。最初から新城を陥れようとしていたのか、途中で関係がこじれたことを恨んだのか。この全く原因不明という要素が作品の恐ろしさを生んでいることは確かであるが、それだけならこのタイプの恐怖は過去にも幾たびも描かれてきた。この作品の新味は別にある。
 第一にこの作品が現在の都市生活を如実に反映しているという点である。新城はそもそもアパートの住人達と親しかったわけではない。むしろこれまでは全く意識してこなかった。したがって住民達に取り囲まれる場面の恐ろしさは、知人に裏切られるという恐ろしさではない。もともとこうだったのに、単に今まで気付かなかっただけかもしれないという恐怖である。多くの都市生活者達は新城と近い生活を送っている。お互いがお互い全く無関心な人間関係を生きているのだ。
 第二は不条理な世界を描きながら、非現実的な出来事は一切起こらないという点である。結末近くまで新城の不安は、告発文がスキャンダルになって教員採用の不利益になるではないのか、という現実的なものである。すべてがあるいは起こりうる出来事なのである。座間味の造形にしても、最近のストーカー事件などの報道を見るに、隣に住んでいても何の不思議もない人物である。
 第三に、前の二項の現実性を支える、目取真文学の特徴であるところの描写のリアルさである。特に反復される猫の死骸(しがい)は、読む者の感覚を刺激してやまない。残虐というだけなら現代においては青年コミックや、ホラービデオなど視覚的な表現が満ちあふれている。しかしその多くは現実の生活エリアと異なった、別世界の出来事にすぎない。それに対して我々は誰しも、猫の死骸くらいは何度か見たことがあるだろう。この世のものとは思えない残虐ではなく、経験とつながる残虐。この作品の恐ろしさはそこにある。
 それにしても感慨深いのは、かつては突然虫になったり、棒になったりする事で表現されてきた不条理の世界が、リアルな描写の積み重ねだけで可能になってしまった現代という時代である。こうなってくると「不条理」という言葉自体が、空虚なのかもしれない。この作品が恐ろしいのは、それが不条理な出来事だからでなく、むしろ我々の日常そのものだからではあるまいか。
 以上のようにこの作品は人間存在の不条理というものの表現に新たな地平を開いた、完成度の高いものであるが、疑問もないわけではない。それはこの作品が、この時期に目取真俊によって書かれなければならなっかった理由は何なのか?という点である。
 昨年夏のインタヴューで目取真は次のように語っている(本紙九九年八月三十日付)。「沖縄でしか生み出せない文章を作りたい」「神話、伝説、歴史、現実政治などが絡んだ複雑で幻想的な骨太の長編を、沖縄史を踏まえて書きたい」。この作品は、明らかに別な方向を向いている。沖縄を舞台としながらも、沖縄固有ではなく現代都市生活全般に広がるテーマが描かれており、作中人物も方言使用とは離れた世代である。いわば沖縄へのこだわりから現代という時代そのものへと関心が移行したかに見える。
 もちろんたった一つの短編で作家の方針を憶測するのは先走りにすぎるだろう。一作限りの実験の可能性も否定できない。しかし沖縄の状況そのものについての発言が、急激に増加する時期に書かれたこの作品の意義はどこにあるのか。その答えは、これほどの不可解な状況に追いつめられながら、絶望でも逃亡でもなく、最後に戦いの姿勢を示す新城の態度にあるのかもしれない。いずれにせよ、今後も目取真俊から目を離すことは出来ない。



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