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テーマ:ウォーキング(5094)
カテゴリ:滋賀の名所・旧跡・観光地
徒歩でビワイチ
気ままな歩き録。 2025年6月28日 甲賀市 晴れ 最高気温30℃ 最低気温20℃ 過去最も早い梅雨明け直後の抜けるような晴天青空の日。 近江を歩く2025 の第2弾は、東海道の宿場町、甲賀市の水口宿を歩いた。 ![]() (碧水城とも呼ばれていた水口城跡) 今回訪れたのは水口宿。 水口宿は、近江国甲賀郡にあった東海道五十三次の50番目の宿場町。 現在の地名は滋賀県甲賀市水口町。 水口の古い街並みは、近江鉄道 水口石橋駅付近にある石橋を境に 東側は道が三筋に分かれた宿場町、西側は水口城の城下町。 室町時代に宿駅の機能を有するようになったとのこと。 1601年に宿駅に指定され、1634年に水口城が築かれ、1682年に水口藩 が成立して城下町にもなった。(Wikipedia 水口宿より) 最寄りの公共交通機関は近江鉄道。 今回は、戦国時代にこの宿場町を治めていた 水口岡山城趾 を巡ってから 宿場町ウォーキングするため水口岡山城趾の最寄り駅である水口駅から ウォーキングすることとした。 水口町内に掲げられたお散歩マップという大きな看板。 右側の緑色の山の絵が水口岡山城趾。 山城散策の後は、山の下の街道宿場町辺りを歩いて、看板左側の現在位置● 辺りまでウォーキングする予定。 具体的には、東海道の東見附趾(江戸口)から西見附趾(京口)までを歩く。 概ね10km程のウォーキング。 ![]() 7:50 水口駅 無人駅である。 さぁ歩こう。 ![]() 駅から水口岡山城趾(古城山山頂)までは概ね1.5kmの距離。 山道は整備されていて歩きやすい。 紫陽花が群生する山道を歩く。 ![]() 8:15 山頂の本丸櫓趾に到着。 山頂に吹く風が清々しい。 ![]() 水口岡山城は、かつては水口城と呼ばれたが、江戸時代に平城である 水口城が築城された後は区別するため古城・岡山城と呼ばれている。 水口岡山城は、羽柴秀吉の命により中村一氏が天正13年(1585年) 甲賀郡の支配拠点として築き入城した。 その時、街道の要所として宿場町水口の原型をつくった。 その後、天正18年(1590年)に増田長盛が、文禄4年(1595年) には長束正家と豊臣五奉行を務めた2人が相次いで入城している。 慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いで西軍の長束正家が敗走して この城に籠城したが、最終的には降伏・開城し切腹。城も廃城となった。 後に、城の石垣は平城である水口城の部材として転用され破却されたが 城跡は御用林として活用されて保全された。 歴史は下り、平成29年(2017年)に「水口岡山城趾」として国の史跡 に指定された。(Wikipedia 水口岡山城 より) 山頂近くに設置された櫓から水口の市街を望む。 ![]() この城が現役の時もこのように東海道の宿場町の往来を見ていたのだろう。 城山を下り宿場町界隈へ。 8:40 東見附(江戸口)趾 ![]() 見附とはお城や宿場を防御・往来監視するための番所のような施設で 東見附は、水口宿の東の端に設けられ「江戸口」と呼ばれていたそうだ。 水口宿の西端には西見附があり「京口」と呼ばれ、同じ機能を果たしていた。 今日は、この東見附(江戸口)から西見附(京口)の間の宿場町・城下町を 散策する計画。 8:50 高札場跡 ここから街道が三筋に分かれ「三筋町」として発展した。 当時は「街道一の人止場」 といわれ賑わった宿場町だったそうだ。 高札場は、「お達し」を公示する掲示板のこと。 人通りの多い街の中心に設置されたもの。 ![]() 街道沿いの古い家並み。 ![]() 8:55 問屋場跡。 宿駅本来の業務である人馬の継ぎ立てを差配したところ。 宿駅の中核的施設として、公用貸客を次の宿場まで運ぶ伝馬と 人足を用意した。(現地の説明版より) ![]() 9:10 旧水口図書館。 水口小学校の敷地内にある建物。 ウィリアム・メレル・ヴォーリズの設計により昭和3年(1928年)に竣工。 滋賀にはヴォーリズの設計建物が大変多く、水口にはこの建物のほか 水口キリスト教会(後で廻る予定)の2つがある。 ![]() 9:20 大徳寺 浄土宗のお寺で浄慶寺という寺名だったとのこと。 開山した叡誉上人は徳川家康が幼少の時に手習いを教えた人で その縁から、関ヶ原の戦いの後に家康の「家」松平家の「松」をとって 「家松山」の山号を贈られた。 徳川の葵紋を寺紋とし、慶長7年(1602年)には大将軍徳川を引用した 大徳寺の寺号を下賜されたとのこと。 また、家康の上洛の際には宿泊もしたとのこと。 ![]() 9:20 三筋の辻のからくり時計。 宿場町のシンボルとして、水口祭の曳山を模したからくり時計。 街道が三筋に別れる西端に設置されている。 ![]() このからくり時計の前が石橋で、これより東(からくり時計側)が宿場町 西(写真の背後側)が城下町となる。 なぜ曳山に模しているかというと、水口の街では「水口曳山祭」という お祭りが毎年4月に行われているため。 曳山は現在16基有るそうで、旧市街のいたるところに曳山を収蔵した 蔵が点在している。 ![]() また、近江鉄道の水口城南駅の傍にある水口歴史民俗資料館では曳山が 展示されている。だがしかし時間が早いからかあいにく閉館だった。残念。 9:25 ひと・まち街道交流館に到着。 水口宿を中心とした歴史・文化や観光情報の発信拠点となる施設。 水口特産のかんぴょうや信楽焼などご当地の名産品やグッズの販売している。 それから、ガイドマップや観光パンフレットもここで入手可能。 トイレもあり小休止。 ![]() 9:40 水口キリスト教会(水口幼稚園) ヴォーリズの設計による建物。 ![]() 10:10 水口城跡に到着。 ![]() こちらの水口城は、寛永11年(1634年)江戸幕府三代将軍 徳川家光 の 上洛の際の宿館として築城されたお城。 築城に当たっては、造園の名手 小堀遠州 が作事奉行を務めたとのこと。 しかし、将軍の宿館としては家光上洛の1回限りで、その後は使用される ことなく幕府の任命する城番が管理する番城となった。 時代が下り、天和2年(1682年)に加藤明友が2万石で入城し水口藩となった。 堀は薬研堀で青く美しい湧水を湛えていたことから、加藤明友が別名として 「碧水城」と名付けていたそうだ。 明治維新後、水口城は廃城となって櫓や石垣は建材・石材として売却処分され 破却された。 現在は、本丸跡は地元の高校のグランドとして使用され、石垣の遺構が残る 出丸跡を整備修復し、破却後に民家に移築されていた本丸乾櫓を2階造りとして 再移築し、平成3年(1991年)に水口城資料館として活用されている。 水口城資料館は入館料¥200。 休憩がてら入館した。 館内は2階建てで、1階は水口城本丸の1:100復元模型や鎧兜・火縄銃などの 展示があり、水口城の歴史がテレビモニターで上映されていた。 2階にはひな人形などの展示。 また、1階の受付横の展示スペースには 水口藩初代藩主 加藤明友の 祖父である 加藤嘉明(秀吉の家来で賤ヶ岳七本槍の1人)が豊臣秀吉から 拝領したと伝えられる、ヨーロッパの刀 レイピア も展示されていた。 復元模型(1:100) ![]() 水口レイピア(十字洋剣) ![]() 資料館で30分ほど見学・休憩して次に向かう。 10:50 真徳寺表門。 水口城の長屋門を移築したものとのこと。 ![]() 11:10 藤栄神社。 水口藩主加藤氏の祖 加藤嘉明 を祭神にした神社。 前出のレイピアもこの神社の収蔵品だったとのこと。 ![]() 11:20 最終目的地の西見附(京口)跡に到着。 見附の面影はなく説明版のみ。 ![]() すぐ横の交差点。 西見附は地名として残っているようだ。 ![]() 夏の太陽が照りつける暑い日だったが、程よく風もあり 心地よく宿場町ウォーキングができた。 今日歩いた距離:11.0km 歩いた歩数:13,669歩 歩いたコース ![]() 最後に、今回もBIWA-TEKUのモバイルラリーをしながらのウォーキング。 2つのコースをコンプリートできた。 滋賀県「水口岡山城と城下町を訪ねて」 ![]() 甲賀市「東海道水口宿曳山蔵・名所旧跡巡りコース」 ![]() おつかれちゃん。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2025/07/14 10:13:33 PM
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