徒歩でビワイチ㊶ 石山寺
徒歩でビワイチ気ままな歩き録。2024年12月28日 大津市 晴れ 最高気温8℃ 最低気温2℃いづれの御時にか、女御、更衣あまた候ひ給ひける中にいとやむごとなき際にはあらぬが、すぐれて時めき給ふありけり。源氏物語 桐壺 の冒頭文である。今回は、紫式部ゆかりの 石山寺 を訪れた。巻頭の写真は寺院内にある紫式部の像。石山寺とは、琵琶湖から流れ出る 瀬田川 の西岸に位置する真言宗の大本山である。天平19年(747年)に聖武天皇の勅願により、奈良東大寺の別当 良弁僧正 が創建し平安時代に真言宗寺院になった古刹である。境内は至る処に硅灰岩が突出しており 境内のお堂の数々もその上に建てられている。(石山寺 Web Site より)立地が京都からほど近いこともあり、平安時代より貴族や女流文学者が「石山詣」として参詣が盛んになり、紫式部が石山寺参籠中に源氏物語を執筆し始めたと伝えられることでも知られている。また、紫式部が今年のNHK大河ドラマになっていることから境内では大河ドラマ館が開館され所縁ある宝物資料類が企画展示されている。オイラはあんまり興味が無く大河も見ていなかったので、今回、大河ドラマ館はスルーした。8:00前 JR石山駅に到着。石山駅から石山寺までは約2.5kmほど。さぁ歩こう。駅を出てすぐに瀬田川河川敷を歩く。瀬田川はびわ湖から流出する唯一の河川で宇治川・淀川と名を変え京都・大阪を流れ遙か大阪湾に注ぐ。水鳥達が朝の日光浴中。傍を通っても悠々と歩いている。長閑である。8:30 石山寺に到着。山門の東大門。国の重要文化財とのこと。お寺は朝8時から入山可能。拝観料は¥600。境内の案内図。本堂と多宝塔が国宝に指定されており、その他、重要文化財に指定されているお堂も複数有る名刹である。山門をくぐり境内へ。本堂側から山門側に向かっての写真。参道の木々はもみじ。すっかり落葉しているが紅葉シーズンは艶やかな風景だろうことが想像される。先に進むと歴史有るお堂がいくつもあり、石段を登った先には石山寺のシンボルともいえる硅灰岩の大岩とその上方にある多宝塔が現れる。この広場の左側が本堂に通じる参道だ。本堂。本堂の歴史を説明する案内板。天平年間に創建されたものの、その後喪失し、現在のお堂は永長元年(1096年)に再建されたもの。滋賀県で最も古い建物とのことで国宝指定されている。比叡山や三井寺・日吉大社など歴史の古い寺社仏閣の多い近江の地だがやはり、戦国の世に 信長殿 に焼き討ちされたこともあって桃山時代創建の建物が多い。このお堂はその頃の難を免れた故の最古建造物なのだろう。本堂建屋には 紫式部源氏の間 と呼ばれる小部屋があった。この場所で源氏物語を執筆始めたとのこと。小部屋には紫式部を模した人形が展示されている。先に進み多宝塔へ。源頼朝が健久5年(1194年)に建立したとの伝えで現存する多宝塔では最古で国宝指定されている。中には快慶作の大日如来座像が安置されているとのこと。さらに境内を山側にすすむと最後部には光堂と呼ばれる大きなお堂と梅園になっている。その庭内に冒頭の 紫式部像 が鎮座している。ここまでが石山寺散策。下山して帰路につく。石山駅に帰る途中、瀬田川対岸にある建部神社に立ち寄った。この神社、日本武尊(ヤマトタケル)を祀る近江一の宮の神社。日本武尊と建部神社は 初代の千円札 の肖像にも採用されていたとのこと。今日の昼食。石山駅近くのラーメン屋さん 麺屋しん へ。丸鶏塩味玉ラーメン。お店の大将がフレンチシェフだったとのことで付け添えの具材にはブロッコリーとニンジンが入っている彩り鮮やかでシャレオツなラーメン。ごちそうさまでした。今日歩いた距離と歩数。距離:10.8km 歩数:14,360歩今年はこれで歩き納め。おつかれちゃん。