快晴の宮崎市内の朝
空は晴れているが、水平な視界が白っぽい!なんだか子ども時分の「空=青」といった感覚は、思い出の中にしかなくなったのか。 外は眩しいほどの強い朝陽:今日は暑くなりそう! 「夜=月 or 星」もなくなって街灯、街灯り、自動車のランプといった世界になってしまった。 - 猫の水飲みと汗 - 猫は水を舌でなめるようにして飲みます。犬はどうでしてかね?牛や馬は口を水面につけて吸い込みますね。 人間は器に沿って口に流し込む、というより、吸い込みますね。ストローで吸引することもできますが。 私は常ずね、不思議に思っているのですが、猫はどのように暑くても「汗をかかない」のです。 手足の肉丘から熱を放出しているとも考えられないし、犬のように口をあけて喘いでいる風な格好もしないし、どのようなメカニズムで暑さを調節しているのでしょうか? ごろごろ、暑そうにしている様子はわかるのですが?・・・ 水を飲む愛猫のM - 思い出 - 真っ黒い、いかにも力持ちらしい蒸気機関車が、重連で山陽本線の上り坂を「ぼっぼっしゅしゅ・ぼっぼっしゅしゅ」と力強く牽引するのです。その際に発する音が峠を越えると、「ああっ、しんどかった!」と言ったように急に「がたん・ごとん・がたん・ごとん」と、軽快な列車の音に引き継がれて変わります。 思わず機関車に「お疲れさま」といった思いを抱きます。 人間が作り出した「力持ちの生き物」蒸気機関車でーす! 日本一長いと言われた、真っ直ぐなプラットホームの、ど真ん中にあるポツンとたたずんだ小さな田舎の西高屋駅に着く。駅に降りたときの連れが1人減り、2人減って最後には1人ぽっちになるのです。 駅から家まで歩く田舎道は安全等はないのです。自動車はもちろん、まだ自転車も羨ましい存在であった学生時分の徒歩通学を思い出します。 植え終わったばかりの 早苗が正条に並んだ田んぼ には、水面を照らし、辺りを明るく保ってくれているお月さまが、1人になった私と一緒に付き合ってくれるのです。 曲がりくねった道を何回となく曲がっても、途中で別れることはないのです。家に着くまで付き合ってもらって「ありがとう・バイバイ・また一緒に帰ろうね!」 家の電球の明かりが漏れています。 「ただいま!」 自動車社会を否定するつもりはありませんが、考えさせられます。 自然とのお付き合いって、素晴らしいですね! 今と昔は「どちらが幸せかしら?」 「大人たちの懐かしさを知らない」若者たちは、どのように感じるのかしら? 最近、宮崎市内しないでも、あちこち田んぼはありますが、カエルの声・合唱が、まったく聞かれないのは、今のシーズン、さびしいですね。 昔は「正条植え」が多かったが、機械化に伴って「並木植え」に変わってしまったようだ。 - 夜の橘通り1丁目 - 7時過ぎに、すでにシャッターが下りている街は「夜の街を楽しまないでください・歓迎はしません」と言う、無言のメッセージを発信している事実に、気づきましょう。 「人通りのない中心市街地 = お金の入っていない財布」どちらもさびしいですね!関係当事者は考えなければ・・・・・・ 人通りがないですね!