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カテゴリ:書評
宮下奈都氏の「羊と鋼の森」を読んだ。映画化され、6月に公開される
ようである。出演は、山崎賢人氏と三浦友和氏と帯に書かれている。 2016年に本屋大賞を受賞した作品だ。 羊と鋼の森 (文春文庫) [ 宮下 奈都 ] 羊も鋼もピアノの部品である。物語は、新人ピアノ調律師の成長物語 である。昨年10月に亡くなった私の叔父は、長年、調律師をしていた が、生前に読んでいたらどう感じただろう。聞いてみたかったな。 調律師は、ピアノの調整をする人ぐらいにしか知識がない。だいたい、 ピアノの仕組みもあまり理解していないが、漆黒の箱の中には、鋼の 弦が張られていて、羊の毛で作られたハンマーでそれを叩くことで音 が出るという。 そして、生き物のようであって、設置された場所や温度や湿度、人の 数などで音が変わる。それを調整するが、だんだんズレルから定期的 に調律師の出番となる。主人公は森深い山村の出身で、その森の息遣 いを感じながら、先輩や顧客とのつながりから成長していく。 いい話だと思う。新しい世界を知ったとも言える。でも、これを映画 化する意味があるのだろうか。解説で佐藤多佳子氏が書いているが、 主人公は外見の描写がなく、外村という名字しか出て来ない。読み手 が外村君を想像するのだから、読む人それぞれに外村君がいる。 それなのに、外村君は山崎賢人氏でですよとか、ピアノが奏でる微妙 な音の違いを音声化して、聴かせてしまうことに何の意味があるのだ ろうか。学校の体育館で鳴る音、自宅の防音化した小さな部屋で奏で る音、広いコンサートホールで響く音、結婚を祝す祝いのレストラン で紡ぐ音…。それは想像の中に置いておきたい気がするのだ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2018年03月12日 21時51分17秒
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