イスタンブールマンボ / ムーンライダーズ
01 ジェラシー02 週末の恋人03 さよならは夜明けの夢に04 ビューティコンテスト05 女友達(悲しきセレクタリー)06 Beep Beep Be オーライ07 ウスクダラ08 イスタンブール・マンボ09 ブラッディマリー10 ハバロフスクを訪ねて■イスタンブール・マンボはもともと江利チエミが57年に発表した曲だそうだ。サザエさん役者としての彼女しか知らない世代だが、一時は一世を風靡する新進ジャズシンガーだったらしい。そんな彼女の旧作リメイクにライダーズが立ちあったのがこのレコードの発端。肝心の彼女の作品の方はお蔵入りしたが、その際このバンドが施した中近東サウンド複雑アレンジバージョンがM7M8で聞ける。■聞いていて、ウスクダラもイスタンブールもハバロフスクもただの語感に過ぎないように思う。彼らがトルコやロシアのその地に立って、何を見、何を感じたかなんていう感慨は一切伝わってこないし、問題でもない。無国籍風サウンドと誰もがこのアルバムに対して使う常套句も無節操なごった煮料理と言いかえてもさしつかえないのではないか。■たとえばこのアルバムを聞いて、このバンドは何才くらいの人たちがやっているのかは全く窺い知れない。77年と言えば、ほとんどのメンバーが20代の半ばを過ぎ、青年中期にさしかかろうとしていたということは資料からは読みとることはできるが、歌詞に現れるはずの若者の熱情とか、空想とか、もっと言ってしまえば夢、希望といったものが皆無。■老成という言葉が(風体も含めて)このバンドの合言葉だったかは知らないが、その時恥ずかしいと感じとられるような表現はことごとく排除されているように思う。一人称はオレ、それもM1とM2にしか登場しない。君やあなたは歌詞の中にいくらでも探し出すことができるのに、この極端に少ない語り手の人称は歌われている世界がただの風景に過ぎないという暗示なのか。■それでも甘さ、儚さ、美しさが垣間見られるのは新たに白井良明を加えたバンドのアンサンブルの見事さとまだ初々しかった頃の鈴木慶一の声によるものなのか。火の玉ボーイのシティサイドの延長のようなアナログ盤A面の5曲を聴くたび、なんかザワザワする想いは30年前とあまり変わらない。それはM4M5で聞かれる彼のファルセットボイスの背筋が凍る感じのせいか。■ちなみにこのバンドが積極的に「ボク」や「わたし」を使い出すのはメンバーが30代を過ぎた頃。その頃から急に肩の荷を下ろしたかのようにリアルタイムな楽曲が目立ってくる。そういう意味では年齢不詳を貫こうとしたこの頃のアルバムこそ逆説的な意味で彼らの青春そのものと言える。若気の達観もそれはそれで恥ずかしくもある。■代表作がないバンドゆえ、この10曲がなくても彼らの偉業には何の翳りも与えない。ただこの10曲があるゆえ、奥行きなり、オーラなりが、このバンドに付加されることは事実。時を超え、演奏されるM1,M2,M6がライブの盛り上がりにどれだけ貢献しているか。M3,M10の名曲感がどれだけ我々の日々のライフに余韻を与えてくれるか計り知れない。いつまでも素敵でいてね♪ とファルセットで歌って今日はおしまい。