トカトントン 2.1

2016/05/22(日)22:02

真田丸 (20) 「予兆」

真田丸(50)

■聚楽弟の壁に落書きをしたのは誰か。美術部スタッフによって再現された若干ポップな悪戯書きを予告編で見た時、堺雅人扮する戦国版古畑任三郎を期待したのは私だけではなかったと思う。 ■側には今泉君の如き全く使いものにならない近藤芳正がいて、あごに手を当てながらちょっと高い声で「うーん」とかうなりながら、推理をはたらかす堺君はたしかに田村正和に見えなくもなかった。(しかし本当に頭が良かったのは容疑者が本願寺にいると即座に見破ったジブ山本耕史だったのだが。)ただあのドラマとの決定的な違いは、追いつめられるべき犯人に該当する者が特定の誰かではなく、秀吉の政治に対する民衆の気分でしかないという点だった。 ■それゆえスカッとした解決編は望むべくもなく、戦国時代の警部補たちは病死した門番のひとりを下手人にしたてて、秀吉の怒りを治めようと図る。だが、頭に血が上った天下猿は彼の親類縁者隣人までをもことごとく成敗せよなどと無理難題を彼らに強いる。 ■天下人に対してそんな非道いことはできないと抗弁するのは豊臣秀次にも石田三成にも至難の業だった。秀吉の頭の中にはおそらくまだ織田信長がいて、天下を治めるスタンダードは爆発的な怒りであり、暴力的な支配に他ならなかったのではないか。それがコンプレックスの裏返しだと指摘できるのは北政所しかいなかった。 ■理不尽なことを強いられてもそれに抗えない時代の悲しみみたいなものを強く感じる。政略結婚の犠牲になり離縁を迫られる長野里美(でもすぐ侍女で復活には笑った)とか、家来に変装して娘の嫁ぐ姿を見て涙する「、」とか、腑に落ちない伝令を主のために果たさなければならない佐助とか。 ■そんな微妙な感情の起伏が静かに静かに積もり積もって歴史を動かす歯車となっていくという描き方。「御意」とか「承知」と頭を下げて承服したつもりでも、その人に対する感情がだんだんと変容していく様は現代人の性格形成とまるきり違うものではないのだという描き方。 ■行ったことがないような高みに昇りつめようとする人に警告を発することができるのは特別な人である。目に見える高さのそれならばその分だけの梯子でも用意すればそれで事足りる。しかし彼が目指そうとしているのはそれよりもっと見晴らしの良い天国みたいな場所だ。そこにはもうどんな高さの梯子も届かないし、届いたとしてもその強度が足りなければ今回の梯子のように折れてしまうだろう。そして何よりそれを支える人がどれくらいいるのかというのが一番厄介な問題なのだと思う。

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