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今日、 100回くらいブログの言葉をつぶやきました。
100は100はすべて おそらくは、全部違う文言で。。 ああ、今、ブログにアップできたのならば、楽天の一日5回のアップ可能でもおいつかないだろうなとか思いつつ。。(そして、誰もよまねーよ!そんなに!ってなかんじで。。) くらーいことを たぶん、100回くらいぶつぶつ思って、忘れないように、家に帰ったら書こうと思い、すべてわすれて、、いまにいたっています。 でもって いま、ちょっと後悔しています。 あ ブログじゃないです。別のこと。 いろいろ 日々後悔ばかりですが(反省ではないところが私である) ひとつ、たった今 っは! としたこと。 メールの内容 『平田ナーセリーはご存じですか?西区の小戸店です。西洋芝が1束500円程度で販売されて いるそうですが、本当かしらべていただけないでしょうか?だめですかね?』 なんか、やさしくしてほしい といっている言葉が見え隠れするメールである。 家族からのメール。差出人名がない、まあ、母であろう。 しかし、、 ううむ? 店の名前もわかっているんだから、、 オトナなんだから、、いくらでも自分で問い合わせしたらいいやんか。 と ちょろっと思いました。 普段なら自分でやるのにな。。 家の近所にあるわけでもなく、芝なんか詳しくもなく、車があるわけじゃないから、その店に赴くこともできない。。 まあ、店と私の家との距離は、、メールを送ってきた家族よりは近いですが。。 うぬ? めんどくさいのかな。 と 、、 メールを受け取り、思ったのが15日の夜。 きっと、父親に頼まれた母からのメールであろうと思いました。 父のメールアドレスだったんですがね。 きっとテレビかなんかみて、、 おい、これを買えと、母歩兵に父軍曹が言ったに違いない。 で、まるなげしたな。。と。 まあ、しょうがないから、 平田なーせりーを調べて、お店に問い合わせのメール。。 次の日、ちゃんと、返答が帰ってきておりました。 お店からのメール。 うんぬん、とどのつまり ありません。 そうかー ないのかーーーー。 残念だな。と思いつつ、、、。お店からのメールをそのまま、、転送母歩兵のアドレスへ。 ま、 解決か。と。 したら、、 今日のメール。。 『ぴいこさん 連絡有り難う。このメールは 会社でお母さんのメールを開いてみています。 めづらしく お父さんが昨晩も自分のメール開いて まるこちゃんからまだ メールがこん、めーるがこん とつぶやいていました。 普段は あまり 自分のメール見ないんですが・・・ 有り難う お手数おかけいたしましたね 母より 』 ・・・・・。 なんとも 蚊がきえゆくようなメールである。 芝がないのを悲しんでいるのか??? しかし、なんかスムーズに内容がつたわらない。 なんで、父親が、私からのメールの受信を待ってるのだ? しかも。。 こないこないって いうほどこなくは、なかったぞ。 月曜日の夜メールをもらい、その日の夜問い合わせメールをだし、火曜日お店から返事がきて、火曜日の夜、おかんに転送しているんだからな。。 会社勤め人には最速メールではないか?? とか思い、、( こない こないと たぶん、火曜日の日中 なんども受信箱を見ていたとしたら。。。 し、しごとしろよ!っていいたいですが。。) それよりも、、そう、なんで、、父親が、自分のメールの受信箱をきにするのだ・? 。。 と ああ、、 もしかして、、 あの、芝の問い合わせのメール、、名無しメールは、、うちの父親からのメールだったのか!? と、かなり びっくりしました。 うちの父親は 携帯めーるはできないし、、パソコンメールやらない。。 オークションの落札もすべて、、おかんがやる。。。ただ、質問だけは、自分でメールするみたいで、その姿をみたことがある。 人差し指で、目をつかづけて、、静かにゆっくりと背をまるめて打っていた。。。 その父親が、、、、アウトルックの立ち上げもわからんと思われるのに、、流してきたメール。。 もしかして、、、 内容というよりも、 父は、私に、手紙を出したくて、 手紙がほしかったのではないか。。。。 と、 思ったのでありました。 で、、 私からの返事を待っていた。。 にもかからず、転送メールという、淡白なメールを、、、、、、 父宛ではなく、母宛に流してしまった。。 ううむ。 私の好きな絵本に『てがみをください』というかえるの話があるが。。 実に そのかえるが父親であった。。 うううううううううううううううむ。 幼いころ、物語のかえるは自分だと思って何度もないた。 伝わらない気持ちが悲しくて、 ひねくれているのがいやだけど、どうしてもひねくれているから、今度うまれてくるときには素直に産まれてこようと泣いたもんでした。。 ああ その、、かえるが、、 今日、、今回は、、父親であったんですね。 物語のらすとでは、、、蛙は手紙がこないさみしさにどこかにいってしまいます。。 うーむ。 父親のぼけ防止一環のためにも、 またメールをもらうためにも、私は、このあと、おそらく父親宛にメールをすることでしょう。 なんともあたしも、この年になってちょっと素直になったもんです。 のほほ。 父親が年をとったせいでしょうかね。。 しかられてばかりだった父親ですが、、、 あんまり かわいがらえたという実感はないですが、、あるとしたら、、 私の血のつながった父親であるから、愛情は見せなくてもきっと愛情があるに違いない。 そういうものなのだ。という気持ちが父親から感じる愛情であったと思われます。。 人に愛情をむけたことがなかったくせに、、、 自分が老いてくると、、注いでもない愛情をやけに受けたがっている姿を感じます。 まあ、私もオトナになったから、、そういう姿をみて、許せているのでしょう。 でも、思うわけです。 親が 手をつないだり、 だっこしてくれたり、あたまをなでてくれたり、 かわいいとか いいこだ、よくやったと言ってくれたりしていたら、、 きっと、 周囲の人間に対して素直でかわいらしく、振舞えるオトナにそだっていたのではないかしらと。 子供のころ、ぜんそくが出て夜、苦しくて死ぬかと思った事があって、 涙が出て息ができなかった。口で短い息をつぎながら、母に快方されているのを うっすらと覚えていますが、、父親は、うるさい!眠れないと罵声をあびせたこと。 運動会にもお弁当のときしか着てくれなかったこと。 ほめられると思ったことでも フン で終わったり、 よく見てほしいものを見せても、 投げられたり そんなに、できの悪い子でもなかったんだけどなあ。。。 愛情をそそがなかったくせに、自分が弱くなると愛情を求めてくるとは。。 少しは 覚えていて、後悔もしてくれているんだろうか。。 ちょっと気になる。 会社にいる既婚男性は、子供や奥さんの通院つきそいで遅刻し、休みの日は家族サービスとやらをしているようである。 きっと、うちの父親とは世代が違うってのと他に、生き物の分類も違うにちがいないと思われる。 でも、、 まあ、でも、 環境のせいにしない。 自分の振る舞い、考え方によってチャンスや性格は変わる、、これも事実であるとおもうから、、文句いうけど、文句言わない。。 ぶつぶつ。 そんなんも ひっくるめても ああ、むげにはできない。 いままで、父親と 会話とかそんなにしなかったから、、 共通の話題ってないといえばないのだよね。 (父親がしなかったのである。家にいなかったし) でも、まあ、 肉親だから、話題はなくても会話もできる。 つうか、 そうですね。 10年後の私からしてみれば、、 10年後に会話がふくらんでいけるように、今から会話ってスタートしたらいいのかな。。 と、 おもったりもする。 しかし、 むずがゆいなあ。 どこの家族も こんなもんなんだろうか。 メールとりあえず、3行くらい書いてみよう。。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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