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2024.10.19
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喀血した子規は肺結核の療養で、結局松山へ帰郷することとなった。
この頃、ホトトギスと重ね「子規」という号を使い始める。
ここら辺はドラマの見せ方もあるんかな?
ちょっと時代が前後してるかも。

明治24年日本を訪れていたロシア皇太子ニコライ(のちのニコライ二世)を
沿道警備中の巡査が切りつけ大津事件と呼ばれた。
維新以降、近代国家として進んでいたさなか政治的&外交的苦境に陥る。
巡査の動機は日本がロシアから侵略を受けるのでは、といった危機意識や
当時流布していた西郷隆盛がロシアに落ち延び生きていたというデマを
信じていたという説が。

清の提督、丁汝昌と東郷平八郎(渡哲也)のシーンは重厚でしたね。
東郷が呉鎮守府参謀長時代に清の戦艦「定遠」を訪れたおり、真之に出会い
そこで清の海軍をどのように分析したか真之へ問う。

新聞「日本」代表、陸羯南(佐野史郎)は
子規の叔父、加藤恒忠から子規のことを頼まれていることもあり
子規の面倒を最期までみた人物。
大学を辞め、東京で記者になった子規は家族を松山から呼び寄せた。
「ワシには時間がないんじゃ」

さてフランスから帰国した好古に縁談が持ち上がる。
旧旗本佐久間家の娘、多美(松たか子)である。
劇中では最初、好古は「おひいさま」と呼んではりましたね。

朝鮮半島内で東学党の乱がおこり、
自力鎮圧が厳しいと悟った李氏朝鮮は清へ出兵を要請。
日本は朝鮮半島が清やロシアの属領になることを恐れた。
当時の日本首相は伊藤博文(加藤剛)。
日本軍が出兵してきたのを危惧した李氏朝鮮は急いで東学党と和睦。
外務大臣・陸奥宗光(大杉漣)と陸軍参謀本部次長・川上操六(國村隼)は
朝鮮内乱はまだ収まっていないと主張し
日清戦争が明治27年7月に勃発。

ウィキってみると開戦前の状況について
陸奥宗光の回想「外交にありては被動者(受け身)たるの地位を取り、
        軍事にありては常に機先を制せむ」
外務次官林董の回想「(海軍大臣西郷従道について)北洋艦隊の優勢なるを
          憚るが為に躊躇したり」…と、あります。

開戦前の日清関係や、近代国家を目指す日本。
ロシアの南下政策、朝鮮国内の甲午農民戦争など
時勢や各国状況、色々知らなくては何とも申し上げにくいです。
原作も情報量がすごいけど、ウィキもお腹いっぱいになるなぁ。














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Last updated  2024.10.20 00:51:19
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