2006/08/14(月)21:25
☆~ひとすじの~けむり~の行方~☆
お盆ですね・・人間は死ぬと、どこへ帰っていかれるのでしょうか・・
末子8歳の日記・・ひき続き純粋な心に触れて私たちも死とは何か・・を考えてみることも必要ですね・・。
ひとすじのけむり 8月13日 木曜日 曇り
ふと私が、焼き場の方をを見てみると、暮れかかかった空に、ひとすじのけむりが立ち上っていました。
また、だれかが死なれたのです。
父にせよ、子にせよ、なんとかわいそうなことでしよう
死なれた家の人は、たいそうなんぎされて、悲しんでおられることでしょう。
死なれたときの悲しさは、私は、お父さんに死なれたときによく味わっています。
人は死なれたときが、いちばんかなしいのです。
もう、二度とえいきゆうに、あえないからです。顔を見ることも、声を聞くことも、よろこんでもらうことも、できないのです。私はそれがかなしくてたまりません。
近所の人に聞いて私はびっくりしました。
しなれた人が誰だかわかったからです。
わたしのよく知っているひとです。
その人は昨日の朝、弟と一緒ににわとり草をとりに行き、デンセンをあやまってふんだそうです。
弟も、兄をたすけようとしてとびついたので、二人とも、電気にすいついてしまつたそうです。
近くのおじさんが、すぐにかけつけて、靴でけつて助けたのですが、兄さんのほうは、もう手おくれだったそうです。
弟は、ショックで口がきけなくなり、家にかえりやっとのおもいでお母さんに、あんちゃんが、電気にすいついた! と、いったら、お母さんがこんどは口がきけなくなったそうです。
お母さんは真っ青になって、かけて行き、きちがいのようになったそうです。
かあちゃんは、おまえばたよりにしてきたとけ。・・といって、死がいにだきついて、泣きわめき、どうしてもはなれなかったそうです。
そのときのお母さんの胸の中はどんなんだったのでしょうか。
いままで、りっぱにそだててきて、もうすく゛青年になるというところまできたのに。
お母さんはどんなにくやしかったことでしょう
一すじのけむりは高く高く、空へあがっていきました。
きっとあの、けむりになって、たましいは天国へ天国へとのぼっていったのでしょう・・
人は死ぬと、空へ帰っていくのだと思いました。