★~懐かしく いまわしく ~★
とうとう、、この病院に辿り着いてしまった・・高齢の母の転院先を決めなければならなく、時間も限られている。「長期療養医療病院」を現病院から紹介され、私達子供は随分と市内の病院と、介護医療施設を歩きまわり、PCでも検索をし続けた。結果、、認識したのは母は高齢で、歩行困難であるが認知ではなく、、しかし、リハビリために入院してしまったことで、食がほそくなり、自分では中々食べれず、介助が必要であり、点滴も必要になった施設は「医療行為」はできないとの定義。自宅療養も、点滴のために在宅看護という事になるらしい。病院は母の認知度が低いので、入院水準まで達しないと断わる病院もあり、または、大半の患者は寝たきりでコミュニケーションは必要なしの「看取り病院」であり、、母を「死」のレールに乗せる覚悟をしなければならない。私たちは疲れ果て、辿り着いたのが、この病院。ここは6年前に父が他界した病院、というよりは、放置された病院であり、二度と前も通りたくない、耳にもしたくない病院なのに、、、ここだけが、該当になるかもしれない下は、父が入院したばかり253号室、一番奥の奥で歩行困難の父には大変なことであったが、トイレが設置されていたのがすくいだつた。しかし、胸水500を一気に抜かれ、、父は生死をさまよいおまけに、ガンだと言われ、麻薬を打たれ、父は衰弱した。217号室のナースステーション前の二人部屋に移動し、隣は父とおない年の90歳だった。同い年でも、家族のこない患者さんだったので、手弁当持参で毎日、父の食事介助に通っていた私たちは、お隣に遠慮して、小声でスプーンをつかって父の口に運んだ二人して、折り紙を折ったり、絵本を読んでいるときでも、となりにとても気兼ねして、大声で笑うこともできなかった47日めに、朝から体調を崩した父は、夕方に風呂の日と言われて、「熱い,熱い、、」と拒んだけれども、、ヘルパーさんに湯船に入れられ、その夜に、亡くなった。。私達の家からは車で5分なのに、連絡が入ってから駆け付けたが、父はすでに息を引き取り、しかも、かなり前のようであつた。随分と嘆き悲しんだ私達は、二度とこの病院には行くまいと心した。なのに、、受け入れ先のない母の検索していた場所が、ここに辿り着きどうかしている。。。。と、思っている懐かしい院内図であり、忌まわしい院内図でもある