所沢支部 税理士仲間のブログ

2014/10/30(木)09:04

シルクロードの奇岩

コンヤヘ パムッカレをスタートすると、この旅のバス移動でいちば~ん長い440kmを走る一本道? 約6時間のバス移動。 コンヤを目指します。 一本道が延々と続きます。 『この道をずっと辿れば中国の西安へ行ける』と云う。 つまり シルクロード。 広大な原野には、オレンジ、桃、イチジク、チェリー、ザクロ等の数々の果物畑。 羊、牛の放牧地帯が拡がる。 明るい太陽と肥えた土地が広がる素晴らしいトルコ。 360度 地平線が広がる。 途中 立ち寄った ドライブインで 食べた はちみつ入りヨーグルト。 これが 何とも言えない おいしさ。 親日的と言われるトルコ。 1890年(明治23年) エルトゥールル号遭難事件。 和歌山県串本町沖の海難事故により、オスマン提督以下乗組員587名が死亡するという大惨事となりました。 日本は生存者を治療、看護し、イスタンブールまで送り届けました。 トルコでは教科書にも載っている話で誰もが知っている歴史的事件なのです。 イラク・イラン戦争勃発に際し1985年3月17日、48時間の猶予期限以降にイラン上空を飛ぶ航空機は、無差別に攻撃するとサッダーム・フセイン大統領が突如宣言していた。 日本政府は日本航空にチャーター便の派遣を依頼した。 日本航空のパイロットと客室乗務員が組織する労働組合は、組合員の安全が保障されないことを理由にいずれもこの要請を拒絶した。 3月19日午後8時30分のタイムリミットが迫ってくる中、空襲警報が鳴り止まないテヘランのメヘラバード空港に2機のトルコ航空機が降りてきた。 トルコが自国民より日本人を優先して救出した。 駐日トルコ大使はその理由を短いコメントを発していた。 「エルトゥールル号の借りを返しただけです」 感謝  感謝 日本の教科書に 記載されているのだろうか・・・・・ トルコには 徴兵制度がある。 ガイドの Yさん。 いまでも 機関銃の 分解 組立再生は 出来ると言っていた。 途中に トルコ軍 精鋭部隊の 訓練施設を 通りり貫けた。 昔 向田邦子ドラマ「阿修羅のごとく」 この テーマ曲には 「トルコの軍楽」が使われていた。 とても印象に残っている。 祖先も 祖父も 祖先も 祖父も 勇猛なるトルコよ! 汝の軍隊は幾度となく 世界にその名を轟かす! 汝の軍隊は幾度となく 世界にその名を轟かす! やっと コンヤに着いた。 長い道のりだったけれど 居眠りすることもなく 景色を 楽しめた。 コンヤの街は 中高層の マンションが 立ち並んでいた。 屋根には 煙突らしいものを見た。 夕食には まだ時間があった。 ホテルの前の 広場で バザールをしているというので行ってきた。 農家の 皆さんが 自分で 作った 農作物を 並べて 売っていた。  でも カメラは 向けられなかった。 トルコでは 基本的に 人に カメラを向けてはいけない。 土色の顔をした 屈強な男たちが 声もなく 座っている。 豊富な 果物 野菜 そして 日用品などが 並べられていた。 それも 地べたになのだ。 その周りを ヘジャブを着た女性たちが 品定めをしていた。 さすがに トルコでは ブルカや ニカブは あまり見られなかった。 地方都市は まだ まだ 宗教色が 強く感じられた。 安西節雄

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