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昨日 残高証明書を 受け取るために 90歳の被相続人の妻を同行して 銀行に出向いた。
息子2人は サラリーマンなので 時間が取れない。
仕方がないので 私が 車で送り迎えをして 寄り添うことにした。
必要な書類には 手が震えてサインができず 説明にも かなりの時間を要した。
待ち時間の間 相続人は 私に 過去の歴史を はなし 始めた。
令和2年2月8日 第25回「中原中也賞」に水沢なおさんの『美しいからだよ』に決定したと発表があった。
この詩を 見て 私は 時代を 感じていたのだつた。
私は おふくろの 青春時代と 重ね合わせていた。
ここに 茨木のり子さんの 詩集がある。
茨木のり子さんは15歳で日米開戦を、19歳で終戦をむかえていた。
わたしが一番きれいだったとき 街々はがらがらと崩れていって とんでもないところから 青空なんかが見えたりした
わたしが一番きれいだったとき まわりの人達が沢山死んだ 工場で 海で 名もない島で わたしはおしゃれのきっかけを落としてしまった
わたしが一番きれいだったとき 誰もやさしい贈り物を捧げてはくれなかった 男たちは挙手の礼しか知らなくて きれいな眼差だけを残し皆(みな)発っていった
わたしが一番きれいだったとき わたしの頭はからっぽで わたしの心はかたくなで 手足ばかりが栗色に光った
わたしが一番きれいだったとき わたしの国は戦争で負けた そんな馬鹿なことってあるものか ブラウスの腕をまくり卑屈な町をのし歩いた
わたしが一番きれいだったとき ラジオからはジャズが溢れた 禁煙を破ったときのようにくらくらしながら わたしは異国の甘い音楽をむさぼった
わたしが一番きれいだったとき わたしはとてもふしあわせ わたしはとてもとんちんかん わたしはめっぽうさびしかった
だから決めた できれば長生きすることに 年とってから凄く美しい絵を描いた フランスのルオー爺さんのように ね
私は 東京に出てきてから おふくろと 文通が 始まった。
すべてが カタカナ文字だった。
その時始めて おふくろは まともに 学校に行ってなかったことを知った。
大好きな はるばぁちゃんは 魚の行商をしながら 一人で4人の 子供を 育ててきた。
第25回「中原中也賞」 水沢なおさんの『美しいからだよ』に決定しました。
相続人の 顔のしわが 美しく見えた。
準確定申告書 の作成に取り掛かった。
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Last updated
2020.02.11 09:18:47
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