2018/08/01(水)07:50
連続テレビ小説『半分、青い。』第105回
内容
娘・花野(山崎莉里那)の5歳の誕生日。
涼次(間宮祥太朗)から離婚を切り出された鈴愛(永野芽郁)
敬称略
「~のために、諦めたんじゃなかったの」
と言われてもなぁ。。。
そもそも、
「~のため」だと言うなら、その表現をしなきゃダメじゃ?
“働く”と言っても、ほとんど表現されず。
涼次のことを詰っている主人公にしても、
偉そうなことを言っているけど、そこまで頑張っている姿は描かれていない。
例えば、“大納言”で涼次が働いているような描写が、
先日、数秒入った。
が、そこには“店長”がいるということは、
オーナーの親戚の涼次が、“店長”という役職に就いている可能性は低い。
ましてや、相変わらずの閑古鳥が鳴く“大納言”
正社員になっている可能性さえ低いんじゃ無いのか?
だから、
涼次が働く描写より、こどもと一緒の描写の方が多い。
それも、真っ昼間からだ。
そんな描写しかしていないのに。
涼次“生活が不安定になる”。。。。?
主人公自身、現在。。。働いている描写が、全く無く。
すでに“不安定”だと思うんだが?
え?子育てをしてたって?
う~~~~~~~んん。。。。。
娘が5歳にもなって、ミルクの話を出してくる主人公だよ?
今作の描写からすると、ケーキを食べることが出来るようになっているのに?
そう。ここから分かるのは。
涼次が、基本的に定職に就いていない可能性が高いのに、
主人公は、共働きという選択を採らずに、働かず。
子育てのフリをしていると言うことである。
え?専業主婦だって?
。。。。それ、専業主婦に失礼だと思いますよ。
今作の主人公。。。そういう描写無いでしょ?
もし描くならば、
子育てをしながら、家事をすることじゃ?
それなら、涼次に怒るのも分かる。
でも、現在もおばさんに寄生しているのは事実で。
。。。
涼次どころか、主人公にも、何も語る資格無いと思うよ。
働かず、家事もせず、子育てもせず。
にもかかわらず。。。偉そうに“ポエム”だけ吐く。
これ、どこまで脳内補完すれば良いのかな?
主人公は、凄いんだと。。。何でもやっているんだと。。。頑張っているんだと。
そこまで、思えと?
いくらなんでも、無理である。
もちろん。“全て”を表現しろと言うつもりは無い。
が、“やれることはやる”べきである。
無駄に、こどもと遊んでいる姿ばかりを描くなら。
それこそ、同時進行で、出来る描写は、いくらでもあるということ。
ホントはダメだけど。。。ナレーションも“手”だ。
なのに、子供が産まれてから。
こどもと遊んでいる姿と、熱を出したからと大騒ぎしている姿。
そして、今回だけだ。
ハッキリ言う。こんな描写で、何かを印象づけるのは不可能。
脳内補完も、不可能である。
これね。
いままでで、いろいろやっていれば、補完出来るけど。
今作の主人公は、それさえないのだ。
やった描写が無いのに、やったと補完するのは、無理である。
ほんと、最低限のことさえ、やってこなかったから。
こんな状態に陥るんだよ。
まあ。これは。
くだらない“ポエム”にこだわり続けた作者と。
補完行為さえ行わなかった演出。。。双方に問題があります。
“連ドラ”であることを、甘く見すぎ。
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