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カテゴリ:ドラマ系の感想
内容
夕見子(福地桃子)から、裏切り者と言われるなつ(広瀬すず) 高山(須藤蓮)のことなどを十勝に伝えたことを責められてしまう。 夕見子は、東京を離れるという。。。 敬称略 夫と別れようと決意した矢先、思わぬ出来事が! 苦悩するおしんは。。。。。(《おしん》第95回) 2,3週前の結婚前後からの変化も凄かったが。 今回の田中裕子さんも、凄いねぇ。 ストーリーだけじゃなく、全てにおいて“見どころ”満載の《おしん》である。 にしても。 なんだろうなぁ。。。。《なつぞら》 元々、全く興味がない脇役で。。。その恋バナというだけでも、意味不明なのに。 そんな話が、なぜか、メインになるという今作。 頭が痛いのは、その脇役のキャラに一貫性が無いからだ。 今回なんて、夕見子だけじゃない。主人公だって、そうだし。 それこそ。。。。「勢いで」などと、自分のコトを棚に上げる咲太郎にしても。 今作は、場面が変わる毎に、登場人物のキャラまで変わることが多いが。 ここまでくると、もう、何が何だか、ワケが分からない。 なんらかの“転機”であったりするならば、理解出来るが。 基本的に、今作の場合、豹変だし。 変化してしまうと、話の筋が通らなくなるのに。。。。。 あくまでも脇役は、主人公の引き立て役であり。 むしろ、主人公を構成するための一部なのである。 その脇役がブレると、脇役の意味が無くなり、 主人公まで、ブレまくってしまうのである。 まあね。。。分かるんだけど。 でもなぁ。。。。 ハッキリ言って、“今”描くような話では無いのである。 だって、メインがあるんだから。 しっかし、どうでも良い話を、よくもまぁ。。。延々と。。。。(苦笑) そこまでして、十勝の人たちを登場させたかったならば、 一家全員を、なんらかの理由をつけて、 十勝から東京に移住させればよかったんじゃ? 違うのかな? そうすれば、不自然さが消えるし。 こういうところ。。。 そう、脇役を脇役として、シッカリ立てない今作の悪いクセである。 もともと、主人公のキャラもハッキリしないままだし。才能だって曖昧。 その状態で脇役を、個性的に描くと、主人公が埋没するのだ。 俳優の力の差もあるんだけどね。 で、何かをすると、悪循環。 その繰り返しだ。 今回のラストにしても。。。。。才能だと言いたいのだろうが。 行き当たりばったりだし。 こればかり。 そらね。。。才能だと言えなくも無いけど、ハッキリと断言出来るモノでも無い。 そこなんだよなぁ。。。。 坂場、神地にあって、主人公に無いモノ。 でも、"ドラマ"だからと、無理矢理に引き立てるから、不自然さが際立つし。 。。。。 いや、それどころか。 現在の“短編映画”の、いろいろなイメージは、 現物を見ていなくても、表現出来てきたのに。 なぜ、今回だけ?って。。。。。(笑) 一貫性がないよね。ほんと。 え?苦悩していたって? 。。。。どこが? その苦悩。。。今までにない苦悩であるコトを、シッカリ表現してこそ。 意味があると思いますよ。 今作。それを全くやってないし。 TBは以下のミラーへお願いします http://maxexp999.blog100.fc2.com/blog-entry-5346.html お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2019年07月19日 07時49分44秒
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