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江戸東京ぶらり旅

江戸東京ぶらり旅

節分の豆まき

節分に豆をまく理由


 煎った豆を節分にまく風習はもうとっくの昔,江戸時代のその前の室町時代に始まったそうですよ。

 それより以前のこと。鬼を疫病や災害にみたてて,弓矢や盾(たて)と戈(ほこ)で追い出す風習,遣唐使によって中国からもたらされたものなのです。だから紀元700年のちょっと過ぎには,もう鬼が悪者の代表,身代わりにされていたのですね。悪という概念を鬼という形で表現。人間は形ある物,具体物でないと実感がわかないのですね。

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 豆は魔目(まめ),魔滅(まめ)に通じる。頃が似ていますからね。昔々,ワンス・アポン・ア・タイムですが,人々を苦しめる鬼がのさばっていて,その様子を知った毘沙門天が,三石三斗(600リットル)の大豆で鬼の目をねらって投げつけるといいぞ,とアドバイス。それで豆まきが始まったのです。

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 また,佐渡島にいる鬼退治の際に,神様がこの鬼とギャンブルをした。それで「夜明けまでにこの山(金北山)に100段の石段を作れれば俺の勝ちだ」と鬼は言う。神様だって引くに引けない。鬼は99段まで石段を作ったところで,神様は「やばいっ」と思った。神様,本当に大丈夫? もっと早く気付いてよ,ってな感じですがね。まあ,いいでしょう。

 それで神様は「コケコッコー」と鶏の真似をした。そうしたら,これにつられて本物の鶏が一斉に「コケコッコー」と鳴いたのですね。バカだね。それを聞いた鬼,「しまった,朝だ」と降参。鬼もばかだね。朝かどうかは鶏の鳴き声じゃなくて,明暗で分かるでしょうに。


 それでこの馬鹿な鬼,「豆の芽が出る頃に,また来て再チャレンジするからな」とすごんで帰ったのです。神様はほっとしたけれども,また来られたのでは,再度「コケコッコー」なんてともできない。二番煎じだから,今度はばれるかもしれない。それで,人々に豆を煎って,目が出ないようにさせたのです。これで鬼も二度とここへ来るきっかけを失った,というわけ。もったいないね。その年は豆が収穫できなくて困ったでしょうに。

 豆まきの豆は「福豆」という。これをまいたあと,拾って食べますね。あなたの歳よりも一個多く。歯や腸の悪い人は大変でしょうが,節分の夜のことですから,明日は立春。新しい年で,あなたも一つ歳をとるのですから,その分を一個多く食べる,というわけです。現在の歳の数え方とは違っていた時代のことですよ。

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 福豆を思いっきりまくと,何か気分がすっきりしますね。最も寒い時期,ここで邪気を追い出し明るく,暖かい春を迎えよう,「もうすぐ春~ですねえ・・・」というキャンディーズの気分です。今では殻つきの落花生をまく家も多いでしょうね。これでは御利益ありませんよ。


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鬼ってどんな生き物?


 新しい春を迎えるために寒気と疫病を追い払う,この悪者を形にしたのが「鬼」。それで節分にはこの鬼を追い払うために豆をまくのですね。人間,見えない物より見える物のほうが実感がわく。



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 陰陽五行説という今ではほとんど馴染みのない考え方,でもこれに基づくものは東京にも残っているのですが,これによると東北の方向,通常は「北東の方向」と言いますがね,が忌み嫌われる。なぜ? それはこの説を解説している書物におまかせです。なにしろ古く中国から渡来した考え方なので,どうも私たちにはピンとこない。


 それで,この東北の方角から「鬼」がやってくるのです。それでこの方角は「鬼門」と呼ばれるのです。この鬼門のずっと向こうには山があって,ここには鬼が住んでいる。そこからえっちら,鬼がやってくるのですね。当然作り話,想像上の生き物ですからね。

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 十二支によれば,子(ね:北の方角),丑,寅・・・酉(とり:西の方角)・・・12ありますね,東北の方角は丑寅(うしとら)と呼ばれる。それで鬼は,言い方を変えれば,「丑寅の方角からやってくる」ことになるのですね。

 それで,鬼は牛のような角があって,虎のような牙を持ち,虎の皮のフンドシをしている,となったのですよ。こじつけもいいところですが。中国の唐の時代(西暦618~907年)にはもう鬼のイメージはできあがっていたようです。

 東京の上野公園,ここには東照宮がありますね。ビーフシチューの美味しい上野精養軒に行く手前ですが。東照宮の東側一帯,大きな噴水のあるところですが,寛永寺という徳川家の菩提寺があったのです。それから,上野の山の西には不忍池がある。この池の周辺は池之端と言いますね。さらに西へ行くと,本郷,東京大学があります。それでこの山,池,寛永寺と,江戸城(皇居)との位置関係ですが,何と江戸城から見て東北の方角,つまり丑寅の方角なのです。鬼門ですよ。江戸の安泰を願って寛永寺を建てたのですね。

 それで京都ですが,京都御所の丑寅の方角に比叡山,そして延暦寺があります。御所の安泰を願ったのですね。つまり江戸も京都と同じ作りにした。江戸は京都を真似たのですね。ちなみに赤鬼,青鬼もきっと五行説に関係あるのではないですか。目白,目黒,目赤,目青,目黄不動なんてある程ですから。この中で東京に今でも残っているのが学習院大学のある目白駅,と目黒駅・目黒区ですね。




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