両国橋界隈ここは隅田川に架かっている橋の一つ。橋の中程に大きな円が描かれています。 さあ,この橋,何という橋でしょう。<江戸検定に出そうですね> これは「両国橋」です。写真にある円は両国国技館の土俵を表します。土俵と同じ大きさに描いてあります。土俵って意外と小さいですね。さて,簡単に言うと,東京と千葉の両方の国をつなぐ橋なので「両国橋」。隅田川にはこの橋はもともとありませんでした。 徳川家康が江戸に入ってから,最初の大火,これが「明暦の大火」(1657),通称振り袖火事と呼ばれるものです。この時,日本橋や神田に住んでいた人々は浅草方面へ逃げようとたくさん押しかけたのですが・・・残念ながら,江戸の各所に設けられていた見附,「悪い人を見~つけた」という役割のある検問所ですが,神田川に架かる浅草橋の南にあった「浅草御門」(浅草見附)が閉められていたのです。それで押し合いへし合い,たくさんの人が亡くなりました。10万人とも伝えられています。 そこで幕府も反省,隅田川(大川)を渡って対岸へ逃げられるようにしようではないか,ということで「大橋」がかけられたのです。1693年にはこの下流に「新大橋」が架けられたので,このとき大橋は「両国橋」と名前が変わりました。新大橋はいまでも「新大橋」です。両国橋の西側は防災のために広い空き地がつくられたのです。「両国広小路」ですが,やがて屋台などで賑わうようになりましたね。当時の様子を描いた浮世絵にはよく広小路が登場しますよ。上野広小路とか大崎広小路なんていう名の地名は,防災対策と関係しているのです。 ところで,両国橋を渡ると,ここには「回向院」というお寺がありますが,江戸幕府がつくったものなのです。この明暦の大火で亡くなった人々を供養するためのものだったのですね。南千住にも回向院がありますが,これは,ここが本家。両方に鼠小僧次郎吉のお墓がありますよ。鼠小僧のお墓は引っ掻いて,破片を持ち帰ってもいいそうです。どんな御利益があるのか知りませんが,大金持ちだけをねらった,そして殺人を一切していない盗賊だったので,人気があったようです。ここで行われた勧進相撲は,現代の相撲のオリジン。サマージャンボなどの宝くじ,「富くじ」もこのお寺で行われました。
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