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江戸東京ぶらり旅

江戸東京ぶらり旅

沢庵和尚<品川>

漬物の沢庵<たくあん>和尚さん


〈沢庵桶尚〉水茄子一夜漬 8個    三年沢沢庵もろみ漬け


  梅肉沢庵    沢庵禅師逸話選



 京浜急行の「新馬場駅」(しんばんば)で降りましょう。新馬場は北品川駅と青物横丁駅の間にあります。山手通りを西へ,左側に東海寺がありますが,その先,JR東海道本線をくぐったらすぐに右折しましょう。ここは東海寺の墓地。この中に沢庵和尚のお墓があります。漬け物石のような格好をしているのですぐ分かります(写真)。

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 この方,沢庵宗彭(たくあんそうほう)さんという方で,江戸時代のお坊さんです。紫衣事件で流罪になりましたが,その後赦(ゆる)されて東海寺を開きました。沢庵漬けの考案者だと伝えられていますが,もともと関西で食べられていた大根の「たくわえ漬」を将軍家光さんにごちそうしたところ,「たくわえ漬にあらず沢庵漬なり」と言ったからとの説もあります。

 紫衣事件とはこんな事件です。
 江戸幕府ができるや,法律(禁中並公家諸法度など)をつくって寺社への締め付を強化しましたのです。それは寺社と朝廷との関係を弱めることがねらいです。幕府が朝廷にかわって主導権を握りたいですからですね。具体的には,もともと天皇の詔で決まっていた寺の要職を幕府が決めます,天皇から賜る紫衣の着用を幕府が認めた者だけに限ることにします,などと決められたのです。ところが面白くないのが天皇,後水尾天皇が幕府に相談することをせず紫衣着用を認めたのです。幕府は当然,それはだめですよ,と。これに反対したのが沢庵さん,仲間を集めて反対運動を行いました。幕府は沢庵さんを出羽国上山に流罪としました。

 やがて将軍秀忠さんの死で恩赦,沢庵さんは赦(ゆる)されました。その後将軍の家光さんと仲良くなり,家光さんは東海寺を建てて,沢庵さんを住持としました。北品川の旧東海道沿いに「問答河岸の碑」が立っています。これには次のような話があります。

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 東海寺に訪ねてきた家光さんを,沢庵さんが船までお見送り。

    家光さん 「海に近いのに東(遠)海寺とはこれ如何に

    沢庵さん 「大軍を率いても将(小)軍というが如し

 こんな林家喜久蔵さん並のダジャレを互いに言い合って,楽しんだのですね。




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