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江戸東京ぶらり旅

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乃木希典<乃木坂>

 地下鉄千代田線の表参道駅と赤坂駅の間に乃木坂駅があります。どうしてこんな駅名なのでしょうね。

 これは明治の軍人,第10代学習院院長も勤めた乃木希典(のぎまれすけ)さんの名前からつけられた駅名です。駅の近くには,乃木さんの邸宅跡(写真上)と厩(うまや)(写真下)が残されていて,特定の日以外は内部には入れないものの,外観は自由に見学することができますよ。小さな庭にはナツメの木があります。乃木さんは大正元年(1912年),明治から大正に時代が移るそのとき,明治天皇の後を追うように,奥さんとともに自刃(じじん)して果てました。

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 乃木さんが生まれたのは六本木ヒルズがある場所。西南戦争に参加しましたが,この際連隊旗を薩摩軍に奪われました。これだけで味方は戦意を失うのですから,最悪の不名誉な結果。その後,日清戦争で旅順要塞を一日で落とす功績,これが乃木さんの唯一の成果とされています。台湾総督に就任しましたが,またもや台湾統治失敗の責任をとって台湾総督を辞職しました。日露戦争ではまたまた旅順攻撃を指揮しましたが,今度は6万人の死傷者を出しながら旅順要塞陥落に失敗,代わった児玉源太郎さんが一日で見事目的達成。

 乃木さんの軍事的才能についてですが,司馬遼太郎さんの『坂の上の雲』では,才能皆無の「愚将」と評価。明治天皇大葬の9月13日の夜,妻静子さんとともに自刃。お墓は近くの青山墓地にありますよ。

 これだけの失態の経歴があるにもかかわらず,乃木さんは,渋谷区神宮前一丁目(原宿竹下通り)の東郷神社に奉られている東郷平八郎さんとともに,日露戦争の英雄,軍神として崇敬され,信仰の対象とされました。邸宅の隣には彼を祀る乃木神社(写真下),銅像まであります。しかし,戦争という望ましからぬ事で特定の人物を美化するという行為には,なにがしかの隠された目的,真実を覆い隠そうという意図が感じられますね。誰かが乃木さんを利用しようとしたのかもしれません。ベトナム戦争でもイラク戦争でも,アメリカは英雄を作ろうとして,これがでたらめだとバレ,という例はよくあること。力量のない指導者は何とか戦争を正当化するために,成果をでっち上げ,美化し,神格化し,批判されないようにしたいのですね。だから泥沼化する,最悪の状況になってギブアップするまで降参しない。「被害は最小に,成果は最大」にという当たり前の計算ができなくなってしまうのです。

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 乃木さんの遺書には,自刃は明治天皇に対する殉死であり,西南戦争時に連隊旗を奪われたことを償うための死であると書かれてあったそうです。乃木さん自身はしっかりとご自身の能力を評価しています。ドイツに留学後,自らの生活を改め,質素な生活をするようになった乃木さん,決して他を欺こうという態度は見られません。人物は立派な方だと言うほかありません。ここは冷静に最高の評価をしたいものです。ただ戦争は精神力だけでなく,戦術,戦略ともに卓越していなければなりません。その上での指導者としての人物的な魅力が必要。ハンニバルやカエサルやナポレオンやアレクサンダーのようにね。

 「うつし世を神去りましゝ大君のみあとしたひて我はゆくなり

 過大な期待を背負わされた乃木さん,これに十分応えることのできなかった乃木さん,きっと辛かったのだと思いますよ。けじめをつける時を待っていたのかも知れませんね。ちょうど明治天皇が亡くなって,「今だ」と思ったのかも知れませんよ。すべて想像ですが。それを,「日本男児たるもの,乃木さんのような武士道精神を失ってはいけない」などど勝手に言われたのでは,乃木さんの本意ではないのですよ,きっと。

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