年増とはなにか
女性に向かって「年増」(としま)なんて言うとひどく怒られそうですね。セクハラで訴えられるかも知れませんよ。でも何歳くらいを年増って呼ぶのでしょうね。藤沢周平の作品を読んでいたら,「年増」という言葉が出てきましたので,ちょいと説明いたしましょう。
江戸時代は13歳から結婚できました。だから20歳頃にはおおかたの女性は結婚していたのですよ。今なら20歳に結婚なんて,ちょっと早すぎますね。早いのが悪いと言っているのではありませんよ。一般的な話です。大学卒業で早くて22歳,それから社会に出て,経験を積んで・・・となるとどうしても遅くなる。30歳の結婚だってざらですね。ですから現代の年増というのは,私の感覚では45歳くらいですかね。ちょっと嫌みな女性に陰口をたたく,「あの年増だけどさ,いつまでたっても愛想悪いね。だからもらい手がないんだよ」なんていう使い方です。実際は年増という言葉は私,使いませんし,結婚が何歳であっても何とも思いませんがね。
それで江戸時代ですが,実は20歳を過ぎると「年増」と呼ばれました。おおかたの女性の結婚が20歳までに済んでしまうのだとすると,ちょっと年をとっちゃった,ってな感じだからです。25歳を過ぎると「大年増」,30歳くらいで「姥桜」(うばざくら)と呼ばれます。現代の30歳の女性に姥桜なんて言ったら,とんでもなく虐められますよ。気をつけましょうね。あくまで江戸時代の言い方ですからね。
この時代,江戸は出稼ぎの男性社会で女性は少なかったのです。だから庶民の間ではバツイチでも出戻り(「元帰り」という)でもなんでもあり。いちいち気にしてはいませんでした。武家では勿論そんなわけにはいきませんでしたがね。結婚式だって庶民は気楽なもの,普段着で内々に集まって大家さんの立会ですませるのですね。戸籍謄本なんてものもなかった時代ですから,2年に1度ある「人別調べ」のときに,「およねは去年から私のかかあっで」ってな申し出をする。だから分かれたって証拠が残らない。27回も結婚し27人の子供をもうけた記録まであるそうですよ。ということはどの子供の父親も違うってことかな?
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