カテゴリ:カテゴリ未分類
火曜日の午前中、我が家のエルが突然旅立ってしまいました。 本当に急な事で、未だに夢の中の出来事のようで信じられませんが…。 月曜日の夕方のお散歩を終えた途端、フラフラ~っと後ろ両足が崩れ腰が立たなくなり、呼吸が荒くなり二回嘔吐をしました。 その後も呼吸は粗いまま、下がチアノーゼで紫色になり慌てて病院へ。 緊急を要する状態だったので即入院治療開始。 脳圧を下げる薬や消炎剤、抗てんかん剤を注射と点滴で入れて酸素マスクを付け、心拍を常に観察しながら容態が落ち着くのを心待ちにしていましたが、えっちゃんはそのまま旅立ってしまいました。 脳梗塞か何か、脳に何らかのトラブルが起こったのでは?との見解でした。 倒れ込んでから16時間弱、年老いた体で良く頑張ってくれました。 心拍数は常に200台。 エルの通常の心拍数は60台前半、約3倍の早さで16時間もの長い間必死に必死に打ち続けました。 頑張って頑張って頑張り続けましたが、こちらに戻ってくることは出来ませんでした。 心臓病を患った体で本当に本当に頑張ったのですが…。 えっちゃんの心臓はとうに限界を超えていたんでしょうね。 とても辛かったと思います。 それでも苦しみ抜いて眠った顔はとても安らかな寝顔でした。 側についていながら何もしてあげることが出来ませんでした。 あと2~3年は一緒に過ごせるものと思っていました。 老介護をどう快適に過ごさせてあげようかとも思っていました。 えっちゃんとの生活がまだまだ続くものだと当たり前に思っていました。 何でもっと一緒に過ごす時間をつくらなかったんだろう。 何でもっと大好きだよって沢山伝えなかったんだろう。 何でもっと楽しいを共有しなかったんだろう。 沢山伝えてきたつもりだけど、でもやっぱりもっともっと、と思ってしまうのです。 せめてもの救いはえっちゃんに一晩中付き添いが出来た事。 付き添いを勧めてくれた先生と付き添い中心配しながら留守番してくれた子供達に感謝します。 子供達、留守番中の犬6匹と猫2匹のお世話、頑張ってくれました。 えっちゃんの無言の帰宅、安らかな寝顔を眺めながら体を撫でて、家族みんなでその頑張りを涙を流しながら沢山褒めてあげました。 えっちゃんに届いたかな? 単身赴任で平日はいない旦那も、次の日の東京出張でたまたま帰宅したし、倒れた日は前日まで私は泊まりで用事に出かけていたんです。 そしてこの日は子供の習い事の送迎もない日。 お陰で用事に追われる事なくゆっくりえっちゃんの寝顔を眺める事が出来ました。 このタイミングもえっちゃんは分かっていたのかな。 えっちゃんは今、葬儀屋さんで預かってもらっています。 日曜日の夕方、家族みんなで最後のお別れをします。 えっちゃん推定15歳。 7歳までの約半分の犬生をパピーミルの繁殖犬として限られた環境下で過ごしました。 高齢により繁殖犬としての価値が無くなりセンターに持ち込まれた所をカン太ママに助けてもらいました。 カン太ママ、ありがとう。 その後、ウチの子になりましたが散歩も出来ず、コミニュケーションも取れず、どうしたらいいか悩んだ日もありましたがそれもみんないい思い出。 今じゃそんな心配不要だったな~ってくらいごく普通の家庭犬で、可愛い可愛い自慢の愛犬でした。 繁殖犬として過ごした約7年の月日を取り戻せるよう、今まで得られる事の出来なかった日常の経験を得て笑顔を取り戻して欲しいと願って付けた名前。 得る = エル だって保護時、えっちゃんったら全然笑わなかったんだから。 上目遣いでジト~っと不信な目で微動だにせずただ見つめるだけでしたから。 そんなだったから今普通に家庭犬なえっちゃんが可愛くて可愛くて。 だから今は辛くて辛くて。 でも本当に本当に大好きだったから辛くて当たり前。 今はいっぱい涙流して、流すだけ流したら次に進めばいいや、と思っています。 なんせね、まだ我が家にはお世話を待つ子達が人間の子も四つ足尻尾組も沢山いますから。 生きたもの同士、いつかは必ず別れがやって来ます。 私みたいに後悔しないよう、その時その時の嬉しいや楽しい、大好きや愛してるを惜しむことなく沢山沢山伝えてあげて下さいね。 きっと言われなくても実践していらっしゃるでしょうが、愚かな私は忙しさにかまけて出し惜しみしていた感も否めません…。 ごめんね、えっちゃん。 でも、世界で一番心からえっちゃんが大好きです。 人間に翻弄された半生だったけど、今度は自分のために自由に生きてね。 またいつか何処かで会えるかな? 会えたらいいな。 いつかまた何処かで会える日を楽しみに。 バイバイ、えっちゃん。 いつか会えるその日まで…。 沢山の優しさをありがとう。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
October 23, 2014 04:04:19 PM
|