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人を救う医療の実現を目指すブログ

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2007.04.17
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カテゴリ:リョウの備忘録

人生は予測できない…宋 文洲さんの話を読んで、まったく同感です。
未来は予測できないし、成功への道も一直線ではない。
同じようなことを大前研一さんも書いていました。

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【宋 文洲】

我々はよく「人生設計」という言葉を使います。しかし、設計通りになった人生はどれほど

あるでしょうか。「夢」で終わる設計もあれば、思いもよらない大成功の設計ミスもあると思

いませんか。

 エベレストにも登頂したチベット人登山家のクンガ・パサン氏は「人生は設計できるもの

ではない」と言っています。彼は自分の成長、結婚、職業そして生死がいかに偶然な出

来事によって左右されているかをメディアに素直に打ち明けています。

 ある時、彼はわずか数センチを踏み外したことで深い氷雪の谷に落ちました。もう死ん

だと誰もが思っていましたが、10日後、彼は奇跡的に救助されました。「10日間、どうや

って過ごしましたか」と聞かれた彼は「映画のように、これまでの人生を思い出してみた。

すると、自分の人生の多くは、偶然の結果だと気づきました」と言いました。


チベット登山家の実話

 例えば結婚もそうでした。彼と現在の奥さんとの結婚も、考えてみれば偶然でした。

 結婚前、パサン氏は一度、他の女性と結婚するところでした。結婚式の日取りまで決ま

るところまでいきましたが、結婚相手の父親が娘を嫁にやる条件として、さらに1枚の毛

皮を求めてきたため、両家が折り合えなくなり破談となりました。1枚の毛皮によって、結

婚相手が現在の奥さんに替わってしまったのです。

 今の奥さんとも、一度は離婚を決めたこともあります。その翌日、離婚手続きするため

に家から十数キロ離れた役所に行く予定でしたが、ちょうどその時に数年に1度の大雪

が襲い1週間も道が塞がれました。その間に、2人は離婚の意思を失いました。

  婚姻だけではなく、生死も偶然の結果だとパサン氏は考えました。パサン氏は幼い

頃から何度も、命を落としかけたのを、偶然に救われたことがありました。

 3歳の時、パサン氏は原因不明の高熱に襲われました。医者にはお手上げと、見放さ

れました。2週間も熱が下がらない状態に、医者は「もう長くない」と宣言しました。その翌

日にもう1人の子供が入院してきました。この子供は高熱であると同時に、病状が激しい

ため、ある種のウイルスに感染していると診断されました。

 担当医師はパサン氏も同じウイルスに感染しているのではと思い処置を施したところ、

熱は収まりました。病状がはっきりしている子供が入院してこなければ、恐らくパサン氏

は少年になる前に人生が終わったはずです。

 ところが少年の頃にも、死にそうになりました。7歳のある日、川で溺れそうになりました

。必死に叫んでもお昼ごはん時で、川岸に誰もいませんでした。これで終わりだと思った

頃、泳ぎ上手な村人が突然に川岸に現れ彼を救い出したのです。後で分かったのです

が、その村人は、昼食の時にたまたま奥さんと口喧嘩し、怒りを静めるために食卓を離

れて川岸に散歩に出かけてきたのです。

 この村人がたまたま昼ごはんの時に奥さんと喧嘩しなければ、パサン氏は青年になる

前に死んだはずです。

 ところが青年になってからも、間一髪で命が助かった経験をしました。20代前半のある

日、パサン氏は汽車に乗って旅しました。トイレに行きたいと思って入ろうとしたら、他の

人が入っていました。しばらく待っても出てこないため、彼は他の車両のトイレに行きまし

た。

 その間に汽車が事故を起こし、最も死者を出した車両は、最初のトイレに行こうとした

車両でした。最初のトイレでパサン氏より先に入った人も、亡くなりました。その人がたま

たまパサン氏より早くトイレに入ったがために、パサン氏は生き残りました。


留学先が日本だったのは偶然だった

 チベットという厳しい自然環境で、しかも経済状況も異なる社会で過ごしてきたパサン

氏の人生は、極端な例に映るかもしれません。しかし、日本でも例えば自動車事故では

毎年、1万人近い人が亡くなっている中で、ほとんどの人は毎日、自動車に乗るか、すれ

違ったりしています。地震や台風などの天災で被害を受けることもあります。技術の進歩

で事故や被害を減らす取り組みはなされていますが、先進国の日本であっても常に死と

隣り合わせにいると言えなくもありません。


 僕がこうやって読者の皆様と、交流できることも運命とは無縁ではありません。僕も1歳

の時に間一髪で命を拾いました。赤ちゃんの僕を抱いて凍った国境の川を歩いていると

、母は足を滑らせて僕を投げ出したのです。暗闇の中、泣き声を頼りに僕を見つけた場

所は、釣り用に氷に開けられた穴からわずか数センチのところでした。一歩間違えば、

冷たい川の中に飲み込まれたところです。

 命が助かったのは、たまたま運が良かったからと言えます。話は異なりますが、来日で

きたのも、偶然です。20年前の中国では、海外に留学するのは自由ではありませんでし

た。

 留学試験に受かった人がどこの国に留学するかは、在学している大学に割り当てられ

た留学枠で決まります。僕が留学試験に受かった年に、僕が通っていた大学の在籍し

ていた学科に割り当てられた留学枠は、日本への1人分だけでした。他の国への割り当

てであれば、その国に行ったに違いありません。

 僕は本当に日本に来てよかったと、心から思っています。辛いのは「なぜ、日本を留学

先に選んだのか」と尋ねられることです。「たまたま」が本当のところなのですが、正直に

申し上げるのもどこか気が引けてしまいます。日本で就職したのも、たまたま天安門事件

が起きたからです。

 事件後の様子を見るために就職した会社は、以前紹介しましたように倒産してしまい

ました。これがソフトブレーンを創業するきっかけです。倒産しなければ、ソフトブレーン

の創業も、そして日本に残っていたかも、分かりません。偶然の重なりで僕の進路、そし

て人生が決まりました。自分の決めた通りに歩んでこられたわけではありません。自分自

身も変化しています。今の家族や友人、知人、社員との出会いで。


諦めるか、謙虚になるか

 人生は設計通りにいかないのがほとんどです。これを知って運命論にはまり努力を諦

めるか、偶然に素早く順応し新たな気持ちで努力をするかで、人生は異なります。経験

から言えるのは、一度立てた人生設計にこだわる人は、幸せになるのは難しいのではな

いかということです。一意専心も必要ですが、刻々と変化する状況を見極めないと願いを

成就することも、目的を達成することもできないと思います。

 ビジネスも似たところがあります。綿密な経営計画を練っても、森羅万象を予測できるこ

となどありません。一寸先は闇の中で、突然押し寄せる変化にいかに素早く対応してい

けるかが、勝敗を決すると言っても過言ではありません。変化への対応に立ち止まった

瞬間に会社は衰退していきます。

 「100年後のビジョンを持っている」と豪語している著名な経営者がいますが、明らかに

ハッタリと思います。想像すら難しい先のことまで考えている経営者より、「猪を狩りに行く

ところに、鹿に出合ったら迷わず撃て」という経営者を僕は信頼しています。


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Last updated  2007.04.17 19:34:00
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こんにちは   pinktiger21 さん
宋文洲さんは、私も好きな経営者の一人です。今日、宋さんに関する記事を書きました。

http://plaza.rakuten.co.jp/ukiuki21/diary/200704280000/

(TBを残していきますので、よろしくお願いいたします) (2007.04.28 09:12:38)

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pinktiger21@ こんにちは 宋文洲さんは、私も好きな経営者の一人で…
もんちゃん0709@ はじめまして テーマから来ました。 なるほどと思って…

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