カテゴリ:カテゴリ未分類
下界は暑く、湿度が高かった。
どこまでも続く山並みの、深い森に包まれた木曽路も、風が熱気を緑陰にまで、運んでいた。平地を見ることがない田園地帯を過ぎて、『命』と刻まれた石碑の群れを見ながら、御嶽山山上を目指した。のどかな山村の間を縫って、曲がりくねった道が登る。その左右には、神道の地を示す石柱が、現れては過ぎ、過ぎたと思えば、また現れる。 墓石を見慣れていても、神道による墓石の群れを見ることは、今までになかった。霊気を感じることはなくても、印象を強める、独特の光景だった。御嶽山が、信仰の山であることを、改めて認識させる参詣道である。 道路が高度を上げるにつれて、下界の熱気が急速に遠のいていくのが、感じられた。気温は、何度くらい下がったのだろうか。肌に纏わるような湿気も、どんどん離れていく。さらりと乾いた空気が、心地良い。 何合目まで登ったところだろうか。広い斜面に休息地が現れて、茶店なども見られた。木陰には、バス停もある。山頂を目指す人たちが、ここで英気を養って、再び霊地に向かって歩を進めたのだろう。夏なのに、平日のためか、人影はまばらだった。喘ぐように登ってくれた車に、しばしの休息を与えて、さらに頂上を目指した。 頂上へ登る最終ポイントには、少し狭めの駐車場があった。途中の景色を楽しみながら登ってきたために、山頂にうっすらとかかる雲には、茜が射し始めていた。初めて訪ねた場所で、山頂を目指して歩き始めるには、時間が遅い。天気は明日も晴れるだろう。 吸い込まれるような青空が、赤紫から群青色に変わり、濃紺から黒へと、移ろっていく。最終バスが下って行ってからは、駐車場に登ってくる車もいない。木々の囁きだけが、さわさわと周囲を包んでいた。 下界を見下ろすと、漆黒の闇に沈んだ森の中に、人家の光が心細く揺らめいている。遠くからも眩く見える都会の光渦は、どこに行ったのか。山入端が空に溶け込んだ頃に、星のきらめきが強さを増していた。夏の夜に、壮大な星の海を見なくなって久しい。無意識に見上げていた天の川さえも、都会に住むようになってからは、ほとんど見ることができなくなっていた。 緑に、黄色に、オレンジに、そして赤く、青く・・・。色とりどりに瞬く星を眺めていると、時が過ぎるのを忘れてしまう。車窓の隙間から忍び込む冷気は、下界の熱波が嘘のような別世界だ。 数年ぶりに味わう星空は、いつまで見ても見飽きさせないと思ったものだが、さすがに2時間も見続けると、その数を数えることも、飽きさせる。時間はまだ夜の9時だった。朝までの時間は長い。 ラジオのスイッチを入れると、そこには『音の星空』が広がっていた。聞いたことがないほどの、方言の洪水が、車内に渦巻いた。北は秋田、岩手、そして日本海の石川、関東首都圏、京阪神から四国まで、チューニングを取ることができないほど、日本各地のラジオ放送が、洪水のように迸り出たのである。 夜空に無数の穴を穿つきらめきと、車内を飛び交う無数の言葉たち。経験したことがない、『神の世界』に迷い込んだ気分で、ラジオのダイヤルをゆっくりと回しながら、眠りについた。 意識の中のどこかで、声の渦の中に、母の声が紛れているような、その声を探し求めているような、不思議な錯覚も味わっていた。 朝、下界は霧に沈んでいたが、水色の空が次第に青みを深めて、快晴に向かっていることを、予感させた。 涼しいうちに、そして多くの参拝者が訪れる前に、山頂を見ておこう。 ゆっくりと、ノンビリと山頂を散策して、何もない荒れ地の斜面を散策して、下山し始めたのは、また、夕暮れ近くになっていた。御嶽の、何がよかったのだろうか。どこに惹かれたのだろうか? 山頂風景も、今は記憶に残っていないのに、なぜか1日、24時間も、木曽御嶽の山頂付近に、とどまっていたのである。 下山しようとクルマを走らせていると、登山中に見かけた、中腹の茶店に差し掛かった。店のシャッターは、ほぼ降り掛けていて、残された隙間から、店内の光が漏れ出ていた。その光に照らされて、長い人の影が揺れた。青さの残る空に、昼の明かりが、名残を留めていた。 長く伸びた人影は、バス停を行きつ戻りつしていた。 と、私のクルマに向かって、手を差し上げながら、足早に進んできた。そして、遠慮がちに窓を叩いた。窓を開けた私に、その男性が、声を掛けた。60歳を過ぎたように見える人だった。 「上の駐車場で、バスを見かけなかったでしょうか。」 「いいえ、もう車は残っていませんでしたよ。」 「ここの店の人にも、最終バスが出た後だと言われたんですが、乗り遅れたようなんですよ。」 「これから、下るんですか?」 「ええ。宿の予約も取ってあるもので、何とか下りたいと思います。」 「店の人が、下りるときにでも車に同乗させてくれそうですか?」 「ここの店は、夜も下に行かないそうなんです。家内が一緒なんですが、歩いて下りると、どのくらいの時間がかかるでしょうか。2時間もあれば、と思うんですが。」 「2時間では、無理でしょう。奥さんもご一緒では、難しいですね。」 少し離れたところで、遠慮がちに様子を窺っている奥さんは、ご主人とそれほど年齢が違うようには、見えない。下山途中で、暗闇に包まれることだろう。 「私のクルマでよければ、いかがですか? 道具を片づけますから。」 後部座席には、カメラや三脚などが、所狭しと転がっていた。 「いや、歩いている途中で、土地の車でも見つけたら、同乗させてもらうつもりでしたから。」 「私も下りるところですから、宿までお送りしますよ。」 男性の表情に、安堵の色が浮かんだ。 「本当に良いんですか? 有り難うございます。今、家内にも話してきますから、待って戴けますか?」 「急ぎませんから、大丈夫ですよ。」 奥さんも、『救われた』といった表情で、車に乗り込んだ。 「宿は、どちらですか?」 「木曽福島に、予約してあります。今夜は、食べ損なうかと思って、覚悟していたのですが、本当に助かります。」 「いいえ。ほとんど一本道ですから、私も寄り道になるわけでもないし、どうぞお気になさらないで下さい。」 「すっかり時間を間違えていましたもので、助かりました。」 奥さんも、言葉少なに、礼を述べてくれた。気取りはないが、落ち着いて上品なご夫婦だった。 「あなたも、木曽福島にお泊まりですか?」 男性が、私に尋ねた。 「いいえ。塩尻に近い方です。」 「そうですか。私たちの宿に近ければ、今夜は是非、お礼をしたかったのですがねぇ。」 「そうですよ。お礼をしなければ、私たちの気持ちが済みませんからねぇ。」 ご夫婦で、謝意を伝えてくる。 「本当に良いんですよ。旅は道連れといいますし、『神様の世界』で、何かのご縁があったということでしょうから。」 いくつかの集落を通り抜けて、木曽福島の明かりが見えた頃に、後部座席でご夫婦の小さな話し声と、なにやら出し入れする音が、かすかに聞こえていた。 「宿は、どのあたりになりますか?」 「そこの角を曲がった路地から、入ります。そこで止めていただけば、後は歩けますから。」 「そうですか。何とか7時半前に着いてよかったですよ。」 「お陰様で、宿の夕食にも、間に合いそうです。」 「足元が暗くなっていますから、お気をつけて。」 「あの・・・。」 「はい? 忘れ物はありませんね。」 「お礼というのは失礼なんですが、見ず知らずのかたに、突然お願いして宿まで送って戴きましたのは、本当に有り難かったです。家内とも話して、ほんの気持ちだけですが、これを・・・。」 ティッシュペーパーに包んだものを、申し訳なさそうに、私に握らせようとした。 「途中でもお話ししましたように、“旅は道連れ”という気持ちでお乗せしたんですから、どうぞ気になさらないで下さい。」 「でも、家内もそうしたほうがいいと言いますから。」 「お気持ちだけ戴きましょう。お孫さんに、そのぶんで、おみやげを買ってあげて下さい。」 何度かの押し問答の末に、その謝礼は、ご夫婦に引き取って戴くことができた。 その包みの中身は・・・? そんなことを考えたのは、後年のことだった。その時には、老境を迎えようとするご夫婦が、霊山に仲睦まじく旅する、その姿を見ただけで、謝礼を受け取る気持ちは失せていたのである。 感傷的だったのかも知れない。『自分の老親が、夫婦で旅をしていたら・・・。あんなふうに仲睦まじく旅をしていたら・・・。』と、自分の親に、その姿を映し替えて見ていたのである。旅行中に、自分の親が困っていたら、きっと誰かが援助の手を差し伸べてくれることだろう。私はその見知らぬ『善意の人』に礼を述べることはできない。代わりにできることは、私が見知らぬ人に、手を差し伸べることだけである。 御嶽山で、車内に満ちたラジオの声から、母の声を探し出すことは、できなかった。老親が、二人で旅に出ることは、ない。 母は8ヶ月ほど前に、戻ることのないところへ、急に旅立ってしまった。父はその後の入院生活から、ようやく戻ってきたばかりだった。二人が揃って旅に出ることは、絶対にない。 あのご夫婦は、あの後も仲良く、旅を続けたことだろう。神の世界ですれ違った、人世の一コマだった。瞬間の時だったような気がする。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2003年08月09日 00時05分09秒
|