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テーマ:愛犬との今日の出来事(3455)
カテゴリ:犬の闘病記
4月、 発病して旋回運動が始まったあの日、 私たちの言葉や顔がわかる健康なナミの心は、一度死んだ。 あれから7か月、 一昨夜、悪夢の様な一夜が過ぎて 明け方、まったく別の犬のように痩せ細ったナミは、 今度は肉体も一緒に旅立った。 嘔吐を繰り返しはじめたとき いよいよその時が迫ったと、心の準備はできていた。 もう最後に望むことは、 これ以上、苦しまないでほしいと祈るのみ。 ナミの肉体がこれからどんな経過をたどり、 息途絶えるのか・・・ どれほど苦しむのか・・・ 不安と恐怖で、悲しみも寂しさも感じる余裕がなかった。 深夜、呼吸が苦しくなってきて、 大きな口を開けて顎呼吸が始まったとき、 「最期まで冷静に見守る」のが最善のことだとわかっていても 今からでも手持ちの座薬を大量に入れて、安楽死はできないものかとか。 鎮静剤を衰弱した末期がんの人に使うと血圧が下がり危ないと聞いたことを思い出して、 鎮静剤を使えば、いっそ、その方が早く楽になるのでは・・・とか。 そんな、無茶苦茶な思いつきばかりが頭を駆け巡っていた。 夫が途中、替ってくれて、 少しウトウトした後、5時前、なぜか目が覚めた。 ナミに声を掛けると、 その後すぐ、呼吸が止まった。 けれど、苦しんだ形相の顔を撫でていたら、 心臓が強いナミは、まだまだ死にきれなかった様で、 膿の様なものを口から流しながら、 また口を大きく開けて、息を吹き返した。 そんな事が10分以上続き、 「もういいから、もういいから」 「もう、さようなら、あっちに行きなさい」と言っているうちに、 やっと、動かなくなった。 もしこれが人なら、 たとえ、死は防げないまでも、 肉体の苦痛は、 医師の手でステロイドやモルヒネによってコントロ-ルできただろう。 医療行為が自然の営みから外れていても、自然死でなかったとしてもだ。 でも動物の場合は、 延命処置が自然死よりもっと苦しみを与えてしまうことは、間違いないと思う。 延命していた間に様々な機能が損なわれていったナミ。 それでも健康な頃と、 何も変わらず生きようとする意志は尊いものだった。 ありがとう、さようなら、また会おう、ナミ。 ------------------------------------------------------------------- このブログを見て下さってる皆様、 励ましのコメントを入れて下さった皆様、 今まで、ナミを応援して下さり、本当にありがとうございました。 まだ我が家には沢山の猫たちがいます。 外にはほんの少し手を差し伸べてやれば助けられる小さな命もあります。 なので立ち止まることなく、 自分たちの出来ることを足元からしっかりと やっていこうと思います。 この悲しい出来事を時間が癒してくれて、 元気だったころのナミを思い出せる日がきたら、 その時はオイオイ泣いてもいい。と自分で決めています。^^; これからも、どうぞ宜しくお願いいたします。 F14tomcat0212その嫁 記 にほんブログ村 にほんブログ村 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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