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カテゴリ:ドラマ・映画・バラエティ/アニメ以外
第2回審判の日 被害者の母親、清貴君の母親からの手紙 この手紙から伝わる「母親」としての思い その手紙から、一人一人感じるものは・・・。 -------------------------- 公式サイトはコチラ 少年が少年を殺めてしまう事件を通し、被害者・加害者、それぞれの家族の思いを描く物語。 -------------------------- この手紙を聞いて、智也君が答えた一言 「わかりません」 この、わかりません・・・の言葉にある深い意味。 内容がわからないのではなく、未来が見えないという意味。 子供は、やっぱり子供。 人生経験なんて、まだ数年しかない。 人との関わりも、狭い範囲での関わりしかない。 人を殺してしまった = 人殺しをした人は死刑になる これは・・・子供ならば当たり前に思う事なんですよね・・・。 大人なら「この場合は」という事例を知っていたりするけれど 子供にはそれが無い。 だからこそ、大人になってしまって忘れてしまった事 子供の頃に思ってた事、短絡的に結びつけて考えてた事 それらを思い出し、そして子供に接する事 大人になるにつれ忘れてしまった「子供の頃の気持ち」 それを忘れてはいけない、と思わされました。 閉ざしていた智也君の心が、あの「手」に現れていましたね・・・ 自分は見捨てられていなかったんだと確信できたんだろうな、と。 あの、約束を破って帰ってきたあの日、壊れてしまった智也君の心 その壊れた心が戻っていく、そのスタートを表していたシーンに涙・・・。 このお話は、本当に、両方の家庭が、どこにでもある家庭 特別な状況下にある家庭ではない、という所が辛さと苦しさを感じさせます。 被害者の家族 自分の子供を失った、その事実は消えないし、決して忘れる事は無い そこで、それをどう受け止めるのか 母親として、父親として、という部分もあるし、「人として」という部分も。 憎む心も、それこそ相手を罵倒し、同じく殺めてやりたい、という気持ちは 絶対に誰でも持つ気持ちだと思いますし、勿論、許す事も出来ないでしょう。 この父親は、怒りのやり場、矛先を相手にぶつける事だけでしか 自分を保つ事が出来なかった、ある意味、可哀相な人・・・かな。 相手に対する憎しみも悲しみも消えないし忘れられない でも、自分自身100%完璧だったか?と考えると 相手を責めると同時に、自分自身をも責める気持ちが湧き上がるはず。 父親は、この「自分を責める気持ち」と向き合うのが怖かったんでしょうね。 憎しみは憎しみしか生まない。 憎しみだけを持って、それを支えに生きていくというのは、甘えであり 現実を見つめているのではなく逃避であり放棄なのではないかなと。 母親も、お姉ちゃんも、みんな同じ心は抱えている その憎しみの心を、自分の心の中のどの部分に置き、そしてどう対処していくか それを見つける事が、「先に進む事」なんですよね。 この父親も、やっと自分の向き合い、進む道が見えてきた・・・のでしょうね。 それにしても、この被害者の母親は強いですね。。。 自分だったら、こんなに強い気持ちにはなれない・・・だろうなぁ・・・。 散々批判しているけど、この父親と同じ部類になってしまうと思います。。。 この母親だからこそ、加害者の母親も、かなり救われたのだと思いますね。 この、被害者の母親が居たからこそ、両者の家庭が崩壊せずに なんとか立って、進もうと出来ているのだと・・・まさしく「道標」 ラストシーン キヨタンの墓前で、母親二人が出会いました。 キヨタンママの、あの表情・・・今までのすべての思い 憎しみの心、罵倒したい心、加害者の母親に対して理解できる部分もある心 色々な、心の中すべてが出ている複雑なこの表情に見入ってしまいました。 (さすが女優・・・と思ってしまいました・・・この短いシーンのこの表情で すべての気持ちが出ている、と自分は感じて、一種の怖さも感じたりしました) 手紙にあったように、どんなに子供に時間をかけ手をかけ気をかけてても 本当に、たったひとつの、ほんのささいな事で、それらすべてが崩れてしまう、 積み上げてきたものが、すべて無くなってしまう感覚は、母親にとって どれだけの後悔や自責を感じるものなのか、図りきれないものですね。 ☆拍手ボタンでっす☆ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2009.06.12 12:25:48
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