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テーマ:たわごと(26893)
カテゴリ:つぶやき
みなさま こんにちは。 朝晩の虫の声がうるさく感じる今日この頃、 物思いにふけっているTommyです。 昨日は皇室でおめでたい事があって、 テレビのニュース番組も明るいムード一色でしたが、 最近、実のところ、イヤなニュースも多かったですよね。 実の娘を橋の上から突き落としたお母さん。 両親との関係が上手くいかずに自宅に火をつけた息子。 実の息子に背中を刺されたお母さん。 迷子の幼児を誘拐する女性。 いやだなぁ。 なんで、せっかくこの世に生を受けて、 そこまで生きて(育って・育てて)きたのに そんな結末を迎えちゃうんだろう…。 同じ血を分けた家族の間でさえも上手く行かないなんて、 一体どんないきさつがあるんだろう…。 少子化による、プレッシャーによるものなのかな。 少なく生んで、大事に育てる、みたいな風潮があるもんね。 鳥ヲタTommyはなんでも鳥に置き換えちゃうけど、 鴨類のように、卵をたくさん産む鳥は、けっこう放任主義なんだよね。 ひな鳥は孵ってすぐ、羽毛が乾けば目も見えるし、 親鳥の後を追いかけて歩けるので、自分の力で食べ物を探せる。 もちろん、未熟な状態で社会に出るので、 事故にあったり、他の肉食動物の餌食になってしまう雛も多いのだけれど。 猛禽類のように、夫婦交替で抱卵して、 雛が孵れば今度は夫婦交替で狩りに出て、雛の分まで餌を探し、 飛べるようになるまでしっかり世話をする鳥の方が、 その卵の数は少なければ、雛が無事に成鳥になる確立も高い。 でも、彼等はもともとそう生き物なのであって、 人間が個人の価値観でどちらかを批判することはできない。 彼等が、現在まで絶滅を逃れ、生き残っているからには、 どちらの方法にも利点があるという事だからだ。 最近の人間社会では、産める子供の数が ある程度限られちゃっているような気がする。 子育ての方法は十人十色、千差万別、たくさんあったのは昔の話。 今は4~5人の大人が1人の子供を育てている例も珍しくない。 1人の子供が、じーじ・ばーば、パパ・ママの期待を一手に背負っているのだ。 指導・援助・保護してくれる大人がたくさんいるということは、 逆を考えれば、その子が大人になった時に 面倒を見なければならない老人がたくさんいるということだ。 だからこそ、お互いに失敗は許されない。 Tommyん家みたいに、ねーちゃんが出来が良かったから、 Tommyはちょっと足りなくても仕方ないか^^;。 ってのは、許されないのだ。 (ごめんよ、父ちゃん・母ちゃん) そんな事態に直面したとき、 真面目な人ほど、根を詰めてしまうのではなかろうか。 良い親になろう、良い子に育てよう、 また、本人に至っては、周囲の期待を裏切らない立派な人間になろう。と。 何でもそうだけど、大事にしすぎちゃうと かえっておかしくなっちゃうことってあるもんね…。 でも、悲しいかな、実際は大事にしなきゃいけないことなんだよね。 その証拠に「人権」なんてものを作って、法律で保護しているわけで。 つまり、それが「義務」であり、「責任」であり…。 そう感じるのは(とらえるのは) その人個人の理想が高いとか、完璧主義とか、そんな問題じゃない。 やらなきゃいけない、出来なきゃいけないのが現実。 黙っていても、いずれ、できない者から淘汰されていってしまうのだ…。 最近、ふるい落とされないように、必死にしがみついてる人が たくさんいるような気がしてならない。 (自然界で言うところの絶滅危惧種のような…) Tommyは人間も動物も、命の尊さは一緒だと思うのだけれど、 人間だけがちょっとばかし高い知能を持ったばかりに、 他の動物たちと別にくくって、 自分達にだけ都合の良い決まり事を作り、我が物顔で繁栄してきた。 その為に犠牲になって失われていった物の代償は大きく、 結局は仲間内でまでも争ったり、不要なものから消そうとしている。 自分も消されようとしている絶滅危惧種の中の一人に思えてならない。 いくら知能が高いフリしてても、 人間だって動物、自然の掟には逆らえないのだろうになぁ。 なんだかなぁ…な、今日この頃です。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
September 7, 2006 04:01:32 PM
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