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テーマ:ペットの死(562)
カテゴリ:鳥ネタ
みなさま こんにちは。 鳥ヲタでおバカなことばかりしているTommyです。 でも。 今日はしんみりと、真面目な話題で行かせていただきます。 10月25日は、平成11年からTommyにとって忘れられない日になりました。 小さな亡骸を病院に引き取りに行ったあの日も、こんな空でした・・・・。 自分の身体の一部と言っても過言でないほど愛してやまなかった オカメインコのさだちゃんが亡くなった日です。 昨年も(よそのブログでしたが)追悼日記を書きました。 雛鳥だったさだちゃんをお迎えしてから18年間、 彼女がTommyのそばにいてくれるのが当たり前になっていました。 実のところ、その大切さも、大きな存在感も、 彼女が逝ってしまってから、じわじわと痛感させられました。 Tommyに物心がついてから、必ずと言っていいほど小鳥の姿がありました。 文鳥、セキセイインコ、鳩。一時は犬や猫もいる大所帯?でした。 ですから悲しいお別れは何度もしてきました。 でも。本当の命の尊さ、命の重みを教えてくれたのはさだちゃんでした。 彼女を失った時、Tommyはいわゆるペットロスに陥り、自暴自棄になりました。 病気のサインを見逃してしまった自分を呪いました。 家中のあちこちに彼女の面影を見るなり、いたたまれない思いでした。 「所詮は鳥じゃない…どんなに可愛くても、動物なんだから。」 そう思われる方もたくさんいらっしゃると思います。 こころの何処かで、自分にもそんな考えがあったかも知れません。 でも、私にとっては大事な「家族」だったのです。 傍から見たら、単なる「インコの飼育」なのですが、 自分が精神的に彼女に依存していたことは否めません。 「オモチャ買ってあげよう。」 「高級なペレットフード買ってあげよう。」 「インコ用のおやつ買ってあげよう。」 一時期、個人的に辛いことがあったのですが、 さだちゃんがいてくれたから、そう思って一生懸命働けました。 へこたれることなく、強く生きていられました。 仕事で疲れ、誰もいない部屋に帰った時、 嬉しそうに迎えてくれる彼女の為に、 いくつもの困難を乗り切って来れたことでしょう。 さだちゃんの葬儀をしていただいたお寺の待合室に、この本がありました。 そのとき読んだのは「第1集~愛犬たちへ」だったのですが、 小さな亡骸を抱えて、この本を読み、 同じ気持ちの方々がたくさんいらっしゃることを知り、安心しました。 その後書店で第2集をみつけたので、迷わず購入しました。 ペットを家族と思い、人間同様に思うことが 決して恥ずかしいことではないと、自信が持てました。 また、家族として迎えられ、愛情をいっぱいに注いでもらい、 幸せな一生を送った動物たちがたくさんいることも知り、安心しました。 愛玩動物としてお店で売られ、たった1万円でその命を売り渡された彼女は、 私を信じ、私にその身を運命を委ね、慕ってくれていたのです。 どんなに大事に思った、育てたところで「飼う」ということ自体、 「人間」のエゴなのも解ってます。 本来は大空の下で自由に羽ばたいて、気に入った相手とつがい、 子孫を繁栄していくべきなのですから…。 だからこそ、「人間」としての義務と責任があると思います。 今いるコ達にも精一杯の責任は果たして行こうと思ってます。 生まれたときに既に祖父母が他界していた私にとって、 「家族を失う」ということの重み・悲しみは 本当のところ理解できてなかったような気がします。 「動物と一緒にするな」と非難されても仕方ないのですが、 実際のところ、自分は、彼女が逝ってからというもの、 人とのお別れや、遺族の方々の悲しみの受け取り方がものすごく変わりました。 故人がいなくなってしまったことの寂しさや、客観的な同情だけでなく、 残された方々の心の痛みを(ほんの一部なんでしょうが)理解できるようになりました。 笑いや癒しの他にも「人」として生きていくために必要な大切なことを、 身をもって教えてくれたさだちゃんにはこころから感謝してます。 もし、ペットロスに陥ってる方がいらっしゃっても、 それは決して恥ずかしいことではありません。 悲しいからといって無理に忘れようとしないで下さい。 「小さな愛すべき家族」があなたに与えてくれた物を、 かけがえのない思い出を、いつまでも大切にしていただきたいです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
October 25, 2006 11:58:13 AM
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