傘寿と米寿
八十歳を「ハト寿」とか傘寿とか言い出したのは、いつ頃からだったろうか。たしか古い辞書にはそんな字句は出ていなかったと思う。手もとにあり合わす四つの辞書を開いて、古希から百寿まで、年齢の異称に関する七つの言葉を見比べてみた。四つの辞書というのは、1.一九五三刊行の「大辞書」2,一九七六年版「新世紀大辞書」3,広辞林(一九七九年刊)4,(広辞苑)(一九八三年刊)である。まず、古希・喜寿・米寿三語は、四つ全部の辞書に搭載されていた。次に百寿は2,3,4それぞれにのっていて、1,にだけはでない。そして卒寿は4にだけ、傘寿は3と4とに初めて登場してくる。ハト寿に至ってはどの辞書にもでていない。 これでみると傘寿と卒寿の二つは、少なくとも昭和五十一年以前は、辞書の上で市民権を与えられてなかったことになる。ハト寿は全然辞書から黙殺ている。それから、大辞典の中にだけ「米寿」についてこんな義解が施してあるのを発見した。《1,八十歳の称。米の字を分画すれば八十人となるよりいう。八十の人。2,八十八歳の称。米の字を分画すれば八十八となるよりいう。米年。》つまり米寿は、八十歳と八十八歳の両方に通用する。実はわたしがことし八十になったのでそんな穿鑿を始めたわけだが、一生に二度も米寿にめぐりあえたら、幸せだなと思う。