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幼い写真に涙が出るのは きっと ひとすじの奇跡を感じるせい それはとても細く細く 日々 奇跡的なのだ *** 向井さんの「会えてよかった」を読んだ。涙なしには読めず、分厚い向井さんの記録を一気に読んでしまった。私の友人にも、もう子供が歩くようになった子、二人目を妊娠してる子、これからはじめての出産をする子・・・などがいる。私の携帯電話には子煩悩な彼女らが送ってくれるベイビーの写真がたくさん保存されている。(笑)。 私はまだ、自分の体に命が宿るっていうことを想像することすらできない。ただ、とてつもなく神聖なことだろうということは明らかだ。母が子宮筋腫の手術でとった子宮を見たとき、その思いはさらに強まった。だって、こうして心臓や、手足や、複雑な機能を持つ人間が、ここから生まれてくるなんて・・・・・ 私は特に、あらゆるところに絡んでくる「法律」の重みを感じた。向井さんが、法律上は実の母を名乗れないとテレビの記者会見で言っていた時に一瞬涙ぐんだのが忘れられない。これから世の中では、今までの法律だけでは対処しきれないケースがたくさん出てくると思う。とある雑誌には、「愛する人に一途に一方的にアタックしつづける「101回目のプロポーズ」(ドラマ)は、今ではストーカーでくくられる」とあった。自衛隊派遣の事実によって、憲法の意義も問われている。何が起きてもおかしくないこの世の中のあらゆるケースを治めていくというのは、何と難しいことなのだろう。 *** 学歴だまし事件について。 私はあまり彼を、「何てやつだ。」というふうには、思わなかった。それより、哀れだなと思った。 うその学歴を書く気持ちになるということは、うその学歴を書かなきゃと思わせるような何かが、世の中にあるとういことだと思う。大学名、会社名で自己紹介をする日本人に驚きを覚える外国人の話は、今までいろいろな書物で読んできた。 *** 「履歴書の書式に見る日英の考え方の違い」 イギリスはもとより欧米諸国では、年齢は社会生活の中でそれほど重要な意味を持たない。イギリス人の生活システムを細かく見ていくと、そんな考え方はいたるところにあらわれている。 その顕著な例が履歴書である。 イギリスには履歴書に年齢を記載する習慣がない。履歴書に書く個人の情報は住所、氏名、メールアドレス、電話番号のみでいいのだ。第一に記載フォームがある履歴書を文具店などで購入する日本と違い、イギリスでは履歴書そのものが販売されていない。 日本のように職場までの通勤時間、志望動機、特技、趣味、そして年齢などの個人情報項目は一切設けられておらず、唯一広いスペースの中で書くことは応募者のこれまでの職歴と学歴のみだ。 なぜならイギリスで仕事を探す場合、履歴書はそれほど重要視されないからだ。そもそもイギリスでは履歴書と同時にレファレンスと呼ばれる推薦状を雇用主に提出する習慣があり、過去の雇用主からの推薦状は履歴書以上の重要性があるからだ。だから求職者は全職の経営者に対して当時の仕事ぶりや技能を証明する推薦状を依頼しなければならない。この推薦状がもらえない、あるいはその中に書いてある評価が悪ければ致命的となる。いかに優秀な大学、企業に勤めていたとしてもほとんどの企業は採用を見合わせるからだ。 日本の総合商社でマネージャーとして働くイギリス人の話。彼は社員の採用試験に立ち会うたび、毎回大きな疑問を感じると語っていた。 「日本の履歴書には趣味、特技をかく欄がある。イギリス式に考えると、応募者が読書好きだとかテニスがうまいということは、まったく仕事とは関係ない。まして家族構成欄に子供の数やおやと同居していると、説明してくるが、まったく理解に苦しむ。それに基づいて家庭事情を同僚の面接担当者がいろいろと質問するにいたっては、何の意味があるんだと思う。仕事で一番重要なのは、その人物が会社にとって何を提供できるかだけなのに」 井形慶子「仕事と年齢にとらわれないイギリスの 豊かな常識」より *** 本人がやめるとか謝罪するとかそういうことはどうでもいいから、世の中の人たちがこの事件から、社会に存在する病巣みたいなものに気づけばいい。 *** そして私はやっぱり思い出す。母のWombを。 きっと生まれてきただけで十分な自分。もうそれだけで完璧な自分。 どんな道であれ無事に生きてきたことだけを堂々と誇れる世の中に早くしたい。 少なくとも私は、そうやって社会に出て行くつもりだ。 何が正しく、何がまちがっているのかなんて。そこにただ、事実があるだけだ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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