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まだ、死ねない。 私でもなく 身体でもなく でも たしかに どこからか 聞こえた声 *** 今朝会社に来る時、柏から松戸に出発して少したったところで、急に目の前が暗くなった。 なんとなく気分が悪いような前兆があったのだが、気のせいだろうと思って外を眺めていた。 だんだん息苦しくなり、冷や汗がでてきた。 ラッシュの中、座り込むこともできないし、柏⇔松戸間というのは、ものすごく距離が長い。 早く電車、とまれ~!と思いながら、息苦しさに耐えていた。 私は思春期のころ、偏頭痛に悩まされていた。 医者には、体が変化する時期特有のもので、心配ないと言われていた。 でも今でも、極度に疲れたり緊張したりするとなることがあり、半年から一年に一度の頻度で起こる。 私は、心の痛みには強いほうだと思うが、体の痛みにはめっぽう弱い。 針を刺す痛みが怖くてピアスホールをあけたいのにあける勇気が出ないほどだ。 やっとついた松戸駅で降り、壁を伝ってホームの階段を上り(はたらからみたらかなり怪しかっただろうと思う。忍者ハットリくんじゃあるまいし。) 視界も気分も回復してきたので電車に乗った。 大げさかもしれないが、ものすごく息苦しくなったり、絶えがたい痛みに襲われるとき、 もしかしたら自分は死ぬんじゃないかと思ったりする。 今朝もそうだった。 急に目の前が暗くなり始めるなんて、私は大丈夫なのか? このまま完全に真っ暗になったらどう電車を降りる? 電車の中の空気だけじゃたりないよ、ともがくように思う。 そしてなぜか、必ず一瞬のうちに、自分にとって大切な人たちの顔が思い浮かぶ。 そして、「まだ、死ねない」とはっきりと、本当にはっきりとそう思うのだ。 「まだ、死ねない」という気持ちは、いったいどこからわいてくるのだろう。 普通に日々を生きていれば、些細なトラブルや悩みでも、「消えてしまいたい」 「自分がいなければ、こんな悩みも発生しないのに」とさえ、思うことはある。 それでも自分が具合が悪いとか、そういう極度の状態にたたされたとき、 「まだ死ねない」と思うことは、理屈でなくからだの奥底から沸いてくる本物の気持ちだ。 そして結局それが、私を日々、生かしているのだと思う。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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