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限界って何のことなのか
きっと私がしたことといったら ほんの少し もっともっと 果てまで行きたい そして決してぼろぼろにならず 強く笑って かえってきたい *** 仕事でミスをしてしまい、帰り道、駅まで歩きながら 泣けてきた。 仕事のことで、こんなにも思いつめたのははじめてだ。 どんなに大変でも、大変でも、 会社から一歩出れば全く仕事の事は忘れる私だった。 電車に乗る前に、駅のコンビニでミネラルウオーターを買い、 一気に飲み干して、気合いを入れて帰った。 家に帰りお風呂に入ろうとすると、バスマットがなかった。 連日の雨で、母が奥の部屋に干していたのだ。 奥の部屋に行き、えいよっとバスマットを抱えて出ようと すると、なぜかふと、片隅のぬいぐるみと目があった。 パンダのぬいぐるみ。 私がまだまだ幼くやっと歩き出した頃。 家族で写真館へ出かけ、写真撮影をした。 子供によくあるように、小さな私はカメラを怖がり、 泣き止もうとしなかった。 写真機を怖がる子供のために写真館では、 いろいろなぬいぐるみを用意してくれている。 私はその中の大きなパンダが気に入った らしく、つかんで離さなかった。 だから、写真にもパンダが一緒に写っている。 困ったことに、写真撮影が終わったあとも、 私はこのパンダが気に入ってしまい、離そうとしない。 私の手は、パンダを握ってクリームパンみたいなグーの形に なっていたという。 それでもなんとか写真館にパンダを置いて帰った。 しばらくして、パンダがうちにやってきた。 祖母が、そっくりなのを買ってきてくれたのだ。 ***************** パンダといえば、白と黒、だよねぇ? いまやこのパンダのぬいぐるみは、灰色と黒、です。 所々やぶけて、縫い直したあともあるし、鼻もちょっぴり、 曲がっている。 私のあとに生まれた二人の弟も、小さい頃このパンダで遊び、 私達は「ぱんちゃん、ぱんちゃん」と呼んでいた。 なのでなぜか、いい男前になった二人の弟も、なぜか このぬいぐるみのことだけは、「ぱんちゃん」と呼んでしまう。 (そのぱんちゃん邪魔だからどかして。みたいに。) ******************** これをくれた祖母はもうとっくにいないし、 パンダが欲しくて泣いていた私も、もういない。 記憶ももちろんない。 4けれど、そんなシアワセな過去のひと時があったという事を、 写真とこのパンダが、いつも思い出させてくれる。 似たパンダを探して歩く祖母を思い浮かべると、 大人になった今も、私は胸がじんとする。 私は、もう私自身さえ忘れてしまったところで、 こんなにも愛されていたのだ。 自分の見えないところで、人が自分に対し 愛を注いでくれているというのは、なんてあり難い事だろう。 手紙や電話やメールをもらうこともそうだと思う。 離れている場所でも、自分を思い出してくれているという奇跡。 そんな心は勇気になるし、私自身も、いつも周りの人たちを 心の中で思い出し、”シアワセだといいなぁ”と 願えるようなゆとりを持ちたい。 自分がどんなにゆとりのない状態にあっても。 ******************** そしてなぜかパンダと目が合ったら、 またボロボロと涙があふれてきた。 色々なことに対して、心が張り詰めていたのかもしれない。 友人がくれたアロマを部屋にたいて、 心が落ちつたら、眠ろう。 ******************** 弟がサーフィンを始めた。 バンドに海に、興味のおもむくままに熱中する弟。 私もバンドを組んでいたことがあったり、今はジャズピアノに 夢中だったりと、音楽が大好きなので、 弟とはよく、音楽の話をする。 弟は、オークションで落札したボードとウエアを持って、 毎週毎週、出かけていく。 だから弟の部屋は、いつも潮のにおいがする。 そんな様子を見ていたら、私も海を見たくなった。 ******************* 「こんなんでへこたれてるようじゃ、海外で生活するなんて 無理だな。」 会社の同僚に、こういわれたことがある。 確か私が上司に怒られた時だ。 アメリカ生活の長い人なので、言葉に重みがある。 今でも私を支えている言葉である。 私はもっと強くなりたい。 人に手をさしのべて生きていきたいなら、 その本人が強くりりしくなくてどうする。 私は私の果てまで行きたい。 孤独とか自由とか悲しみとか、その先にあるものを見てみたい。 そして、いつかさまようことなく、 強く笑って帰ってきたい。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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