想い出は心の宝石箱に。。。

2020/02/23(日)12:53

老いるとは? 。。。

高齢化社会(20)

にほんブログ村 ​ 老いと言う言葉は好きではありませんが、人間のラストステージに誰もが迎える  現象。​​ ​​ 視力、聴力、体力は落ち、好きですと愛を告白すれば、入れ歯が落ちてしまい  ます。​ ​​ 介護現場での調査をもとに、老いの構造に迫った<老い衰えゆくことの  発見>という、天田城介​​の著書があります。( 角川選書 2011年 )   ​​ 彼は、老いることは< 出来たことが、出来なくなる >ことと、  定義しました。​​ ( 老いとは、落差の問題です。文字通り、歩けなくなる、体がいうことをきかなく   なる、働けなくなる・・・など、これまで出来ていたことが、出来なくなって   いく過程です。   過去の自分と比較し傷つき、受け入れることが出来ない。その結果、かっての   姿にしがみつこうとして、あるいはうまくやろうとして出来ず、様々な悲喜劇が   起きてしまう側面があります。 )  ​​ 「できない現在の自分」「できなくなった現在の当事者」に直面しながらも、  それでも「できていた過去の自分」ないしは「できていた過去の他者」のイメージ  に引きずられ、それに深く呪縛されながら苦闘する日々の出来事  なのだ』と。​​                ​​ しかし彼の論点は、<肉体的な衰え>のみに着目した論理展開であって、  この見方にはいささか​​異論を感じました。肉体的な老化によって、かって出来た事  が出来なくなる、これは人間として​​当たり前のこと。  < 老い >というものはむしろ、精神的な後退を言うべきだと思うの  です。​​  ​ 何を見てもこれまでの様に感動出来ない、新たな事に挑戦する意欲も出て  こない、どうでもいいやと総て面倒くさくなる。このような現象こそ、<老いる>  ということではないのでしょうか?  その意味では、たとえ肉体的にも・年齢的にも若くても、既に<老いて>いる方  もいるのです。​   容姿が衰え、そして体も昔のように動かなくなったとしても、何事にも積極的で  感動する心を持続​​する事、すなわち精神的な若ささえ保てれば肉体的な  <老い>など、怖くはないのです。​​   ​​​ ここで思いだすのが、サミュエル・ウルマンの詩 < 青春とは >。​​​  長い人生を乗り越えてきた人間の、<老いるとは何か>を表した真の言葉で  あって、その重みに天田とは天と地の差が、あると思います。   ( 青春とは人生の一時期のことではなく、心のありかたのことだ。   若くあるためには、想像力・強い意志・情熱・勇気が必要であり、安易に就こう   とする心を叱咤する、冒険への希求がなければならない。   人間は年齢を重ねた時、老いるのではない。 ​  理想をなくした時、老いるのである。 )​                            ​​  んだば・・・  わても、いっちょ、がんばってみるか!!!  なにを?????         ブログ村ランキング参加しています。          下の画像を応援クリックしてね。                ↓                           にほんブログ村​

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