2020/08/29(土)12:46
全共闘と藤圭子 。。。
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皇子のような団塊の世代は、また全共闘世代でもありました。
全共闘とは、全学連( 大学の学生自治会、全国連合組織で共産党系 )とは
違い、70年安保闘争または大学紛争の時、学部やセクトを越えた連合体のことを
称します。 全共闘運動は、68年から69年にかけて東大や日大闘争に端を発し、全国の
大学へ< 燎原の火のごとく >広がり、これに参加した大学は100校にも
上りました。
69年に全国全共闘が結成され、形として頂点を迎えますが、実質的には全共闘の
時代はここで終焉し、内向きなゲバルトとセクト間の抗争に、終始するように
なってしまうのです。
1970年代に入ると、内ゲバによる殺人、連合赤軍によるリンチ事件、あさま
山荘事件、そして連合赤軍によるよど号ハイジャック事件などにより、急進的な
学生運動は大衆の支持を急速に失いました。
そして、当時活躍した全共闘闘士達も、次々と思想転向し体制に組み込まれて
いったのです。政治家として猪瀬前都知事、塩崎前安倍内閣官房長官、仙石前
菅内閣官房長官や文化人として、上野千鶴子、坂本龍一、立松和平、テリー伊藤
などがそうです。
国家権力に対する無力さ・虚無感という社会情勢の中で、国民の支持を受けた
歌手が藤圭子。あの暗くて低いトーンで飾られた演歌、< 怨歌 >と
呼ばれる歌声だったのでした。
藤圭子は岩手県一関市生まれで、1969年< 新宿の女 >でデビュー、1970年
< 圭子の夢は夜ひらく >が大ヒットし、第十二回日本レコード大賞
を受賞。1960年代から1970年代初めにかけて、一世を風靡した歌手でした。
2013年8月22日、新宿のマンションから飛び降り自殺し、62歳の短い
人生を終えました。
< 歌は世につれ、世は歌につれ >の言葉通り、その時代が
求めている歌や歌手がいて、それがヒット曲を生み出す要因となっているの
でしょう。
娘の宇多田ヒカルは、
( 悲しい記憶が多いのに、母を思うとき心に浮かぶのは、笑っている彼女です。
母の娘であることを誇りに思います。彼女に出会えたことに感謝の気持ちで
いっぱいです。 )
とのコメントを、彼女のオフィシャルサイトで当時発表しました。
(^^♪
六十、七十、八十と
年金暮らし 夢がない
過去はどんなに明るくとも
静かに お迎え待つのみ
(^^♪
くう~~~~~・・・寂しい~~~~~!!!
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