想い出は心の宝石箱に。。。

2020/11/01(日)13:05

兄弟殺し 。。。

テレビドラマ(25)

にほんブログ村  皇子が今はまっているテレビドラマ、​オスマン帝国外伝​。        ​​​​​ ​スレイマン1世​には、先皇后マヒデヴランとの間の子ムスタファ皇子と、  現皇后ヒュッレムとの間の子、メフメト・セリム・バヤズイト・ジハンギル皇子  という、5人の男の子がいました。​​​  メフメトは病死、ジハンギルは病弱ということで、後継者争いは後の3人。        ​​​ そんな、​皇位継承争い​展開の中で、異母兄弟の長兄ムスタファを慕う  バヤズイトとジハンギルが、彼に尋ねます。  ( 兄さんが、皇帝につくことがあるとしたら、僕たちの事を殺すのか?)  と。  ムスタファは笑いながら、  ( もし、皇帝になるチャンスがあったとしたら、二人で是非自分を支えて    欲しい。)​​​  と、二人の疑いをにべもなく否定したのでした。 ​​ そして、病に倒れたスレイマンの寝室で、仇敵ムスタファとヒュッレムが  激しく言い合いになります。そのヒュッレムが言った最後の言葉。  ( 貴方と私は、決して同極には立ちえない。もし、そういうことがありえると    すれば、それは貴方が私の子であった時だけなのです。)​​    ​​​​​  ​​​​​​​​​​ テレビドラマを見た時、どうしても​腑に落ちなかった​、その二場面の  会話が​オスマントルコ英傑列伝​を読むことによって、わかりました。                それはオスマン家に、王位継承争いの芽をつむ​兄弟殺しの法​が、15世紀  中頃メフメト2世によって制定され、​150年の間​オスマン家のならわしと  なっていたと。  これによって兄弟間には、恒に殺されるという恐怖感を抱えていたことは、  容易に想像できます。    奴隷の身分からスレイマンの寵愛を受け、皇后にまでのぼりつめた​ヒュッレム​   にとり、前妻とその子ムスタファを抹殺しなければ、ムスタファが皇帝についた  時、子供を含めて自分が殺害されるのは、過去のオスマン家の歴史をみても  明らか。  ムスタファ抹殺の数々の謀略は、スレイマンに彼を処刑させるという、悲劇を  もって完結。  登場する人物の中で、唯一善人で信義の男、ムスタファ。そして​イケメン​  のムスタファの処刑死は、ファンにとってショックだったようです。  わいのおくさまも  ( も~~、見る気がしない!! )  と、怒り狂っていました。   ​​​​​​​​​​      それもそのはず、ムスタファ役を演じたMehmet Günsür メフメト・ギュン スーシュ、もとはモデルさん。 ​​​​​​​    さてさて、日本の歴史上においても政権を奪取す為に、兄弟を殺害した例は  いくつもあります。  例えば、     中大兄皇子( 天智天皇 )と大海人皇子     源頼朝と義経     織田信長と信行     徳川家光と忠長  自分の権力基盤を脅かす者を、血縁者でも排除しようとする気持ちは、万国  共通。人間の欲の深さと愚かさを、痛感します。         しかし、法律で許された権利として、​兄弟殺し​があったという点が・・  現役時代皇子が多くの国を出張訪問し、もっとも理解出来なかった​イスラム​  の世界・文化と、同じものがありますね。         ブログ村ランキング参加しています。                     下の画像を応援クリックしてね。                           ↓ ​​                       ​にほんブログ村​

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