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カテゴリ:思ひ出話
私は学生時代プロボクサーであった。
1999年4月にデビュー、2001年1月に引退。 戦績は2勝(1KO)1敗である。 東京にあるジムに在籍していた私は後楽園ホールでしか戦ったことがないが、ホールは今でも思い出の聖地である。 ライセンスを取得して以来、「プロボクサー」そして「元プロボクサー」という肩書によって私は救われ、葛藤させられている。ここではあくまでこの肩書が持つ作用に集中して話したいと思う。ボクシングを通して得たものを書き始めたら話がそれだけに終始してしまうので。 救われる部分、それは人脈構築の上でのインパクトである。 ジムに行けばもちろん何十人ものプロボクサー達に会えるわけであるが、ちまたではやはりレア物である。 自己紹介にちょろっと「学生時代はプロでボクシングをやっていました」と加えるだけで相手に「元プロボクサーの○○さん」という印象を与えることができる。 それは就職活動においても存分に発揮されたし、現在通っているアメリカのビジネススクールにおいても、「I WAS a professional boxer in Japan」(あえて過去形を強調)の一言でクラスメイト達にすぐ覚えてもらった。意外と彼らは肩書に弱いものである(笑)。 さらに何はともあれ一目おいてもらえるといった利点もある。腕に覚えのある輩は「じゃあ俺を今すぐ倒せる?」なんてかまかけてきたりもするが。。。。私は平和主義者なので悪しからず。 一方、この肩書を持つこと・話すことで私が葛藤するのは、「俺なんかが(元)プロボクサーを名乗っていいのだろうか」という自己嫌悪である。 私のジムには世界チャンピオン、日本チャンピオン、ランカー(ランキングに名を連ねる人)、そして多くの明日のランキング入りを目指すプロボクサー達がいた。 プロボクサーとしてジムに所属している間、彼らはライバルであり、(先輩・後輩も含めて)仲間であった。 しかし、自分にはどうしても彼らに対するコンプレックスを拭うことができなかった。 なぜか。 それは「懸けるもの」が違うからである。 本当のボクサーは現在位置に関わらず自分の全てをボクシングに注ぎ込む姿勢を持っている。 一方の私は大学の勉強やサークル、そして海外旅行などとボクシングの掛け持ちをしていた。大学卒業後にはプロボクサーの道よりも、就職をする道の方が「現実的である」という判断があった。 彼らに勝てるわけがない。 「自分の全てを注ぎ込んだらどこまでいけるだろう?」という問いを封印して、私は就職の道を選んだ。 しかし決して後ろ向きになっているわけではない。 何事も中途半端な私かもしれないが、多くのフィールドに足を踏み入れた経験はこれからの人生に必ず役立つと信じている。 これからも「元プロボクサーです」という決り文句を使っていくだろう。自慢としてではなく誇りとして、そしてこの貴重な経験を次につなぐのだという決意表明として。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2004/06/19 03:49:08 AM
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