お母さんありがとう

阪神大震災の1年前より一緒に暮らしていた、家内の母が今日、
うちの家を出ます。この8年間本当に御世話になりました。普段は、そんな感謝の言葉も言えず、ゆっくり話す事も無かったけれど
こんな風に暮らしていられたのも、母のお蔭だと思います。
震災の時は、本当に苦労をかけ、いつも子供達の事を見て頂き
感謝し切れないくらいです。殆ど休日も取らず、遅くまで仕事をしている私にとっては、母がいてくれているだけで、安心でした。
なんせ、三人の男の子家内一人では、大変だったと思います。
他人に聞かれればよく、「マスオさんなんです。」なんていっていましたが、御母さんは、この8年間、自分の家として過ごしてもらえたのでしょうか?いつも気を遣って何処か落ち着かなかったのでは、無いだろうか?そんな疑問が心の中に沸いてきます。
私は、母が同居している事に対して、気遣いなど皆無でした、
その方が、母も気楽だと思っていました。
始めて同居したのは、ふるいそこそこ広い木造(この言葉がぴったり)の家でした、母は、2階を使い6畳と3畳のふた部屋、子供は、まだ長男だけでした。階段をやっと上がったり降りたりかわいい盛りでした。そして1月、震災、2階の母は、倒れた壁の下敷きになりましたが、ご近所の方に助けてもらいアバラを少し痛めただけで、たいした怪我も無く助かりました。私達夫婦は、1階に子供と3人(おなかに次男がいたので3.5人)生き埋め状態でした。
約5時間後ご近所の皆さんに助けていただき、外に、私以外は、
架けつけた兄の車で私の実家へ、この日から避難生活でした。
母は、一時妹サンの所へ、家内も出産を控え一緒に、何ヶ月かの間、
家族離れ離れに暮らしました。
其の後マンション(中古)を購入し神戸に舞い戻り、母とも又、一緒に暮らすことが出来ました。そんな間に、三男も出来て、母には、御世話になりっぱなしでした。今日、そんな母の引越しも、仕事で手伝う事が出来ず、十分な御礼も言えないままになってしまいました。引越しは、弟(家内の)が来てくれて、幸い荷物も多くなかったので、何とか無事終わったらしく、連絡が入ってきました。
引越し先は、私の仕事場からも近く、商圏エリアなので、ちょっとした用事やなにかでも、会いに行けるので安心です。
御母さんありがとう、


© Rakuten Group, Inc.