2007/10/23(火)13:47
もしもあのとき。。。(判断と戦略)
もし、あのとき。。。
欧州で戦火が始まり、第2次世界大戦(太平洋戦争)直前のチャーチルの
世界戦略はどうだったのか? そしてその後どうなったのか。
■1.チャーチルの世界戦略■
1940(昭和15)年5月に首相に就任したチャーチルにとって、
イギリスの命運は風前の灯火のように思われた。ドイツの電撃
戦によって同盟国フランスはすでに屈服し、ロンドンを始めと
するイギリスの各都市は連日ドイツ空軍の爆撃に曝されていた。
一方、頼りにしていたアメリカは、大統領選を控えており、
3選を狙うルーズベルト大統領は、欧州戦線に巻き込まれるこ
とを嫌う世論に迎合して、「あなたがた(米国国民)の子供た
ちは、海外のいかなる戦争に送り込まれることもない」[a]と
公約していた。
もう一つの厄介な問題はイギリスのアジアでの権益をいかに
日本から守るか、という事だった。フランスがドイツに占領さ
れて、その植民地・仏印(ベトナム、ラオス、カンボジア)は
無防備状態に陥っていた。
「フランスが崩壊した時(1940年6月)に、どうして日本が
(東南アジアに)打って出なかったのか、我々は不思議に思っ
た」とチャーチルは述べている。[1,p63]
英領の香港、マレーシア、シンガポールなども、英軍は手薄
で、増強する余裕もなかった。日本が進出してきたら、イギリ
スには単独では打つ手がなかった。この時点で、イギリスには
以下の4つのシナリオがあり得た。
(1) アメリカがドイツに宣戦布告し、日本は中立に留まる。
(2) 英米が協力して、日独と戦う。
(3) 日米がこのまま欧州戦争を傍観する。
(4) アメリカが中立を守ったまま、日英戦争が勃発する。
現状は(3)であった。これが(4)となったら大英帝国は崩壊す
る。(1)は理想であるが、日本が東南アジアに勢力を伸ばして
くるのは、時間の問題と思われた。したがって次善の(2)にい
かに持って行くか、をチャーチルは考えた。すなわちドイツと
の戦いに勝ち、日本から英領植民地を守るためには、いかにア
メリカを自陣営に引きずり込むかが課題となった。
以上は、国際派日本人養成講座「JOG-Mag No.517 日米戦を仕掛けた英国情報外交」から
一部抜粋しました。創刊7年目・3万1千部発行・まぐまぐ殿堂入りのメルマガです。
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その後の世界の行方は、皆さんご存知のとおりです。
このときだけが深刻で、今はそうではない。と言う認識は明らかな間違いと思います。
こうした状況は、あのときも、今でも同じです。世界地図は変わっていません。
主要なプレイヤーも同じです。60年ほど経ったというだけに過ぎません。
では、今、私たちはどうしたら良いでしょう?
わかりやすく質問を変えると、、、
1)中国、ロシアと行動を共にする。
2)フランス、ドイツなどEUと行動を共にする。
3)英米と行動を共にする。
4)中立になる。
基礎はひとり、ひとりの認識です。お上に任すも好し、自分で考えるも好し。
できるなら、よく考えて、自分なりに納得したいと思います。
皆様はいかがでしょう?
記:とらのこども