2009/01/05(月)21:08
心の共鳴菅
こころのなかには、共鳴する器官があるにちがいない。
ときおり、ピッと感じるセンサ部分と、
「ドーン」と大きく知らせるための衝撃警報の部分と、
共鳴するかどうか、検討する部分、
そしてそれは、軽く素早く担当くん、ゆっくりじっくり担当さんのふたり。
最期に、共鳴するための大きい「音さ」が、真ん中にすえられている。
でも、共鳴stopのための部分もあるに違いない。
わたしは、どうしたわけか、このこころのなかの共鳴する器官の働きを、
愉しみつつ、眺めるくせ(楽しみ)ができた。
自分のことなのだけれど、じっと眺めていると実に面白い。
ほおー、そうきたか。ほー、やっぱりな。ほおー、我慢しちゃうんだ。
共鳴したい。そういう欲求がたしかにある。
本や映画だけでは、少しはできても、大きくは、ずっとは共鳴できない。
ひとりでは、共鳴できないんです。
だから、誰かと一緒に、共鳴させて欲しいと願う。
ぐわああんと鳴り響き、トドロカセタイ。
記:とらのこども@休日再掲シリーズ