1956724 ランダム
 HOME | DIARY | PROFILE 【フォローする】 【ログイン】

日日是口実

日日是口実

【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! --/--
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x

PR

Keyword Search

▼キーワード検索

Profile

suudarabushi

suudarabushi

Freepage List

Calendar

Favorite Blog

まだ登録されていません

Comments

ミリオン@ Re:兇賊(02/17) こんばんは。 ドラマは面白いですね。見る…
ミリオン@ Re:無謀なスケジュールがたたって…(02/16) こんばんは。 インフルエンザは怖いですね…
ミリオン@ Re:昭和歌謡黄金時代(02/12) おはようございます。 NHKのBS2は面白い…
ミリオン@ Re:映画音楽の巨匠逝く(02/10) おはようございます。 映画は面白いですね…
ミリオン@ Re:またまた下北沢で喜劇三昧(02/09) おはようございます。 収穫をしましたね。…

Headline News

2021.01.31
XML
カテゴリ:カテゴリ未分類

「寄席の吉右衛門」が逝った。

寄席を愛する東京人として、いつの間にやら(?)落語に深く
携わっている人間として、本当にショックな報だった。

太神楽の第一人者、鏡味仙三郎師匠。

享年74(私の父親と同い年)。食道ガンだったとのこと。

先ほど訃報を見たところ、昨年6月9日の新宿末廣亭が最後の
高座になったという。確かに、その後くらいに、たけ平師匠か
三朝師匠から「仙三郎親方が病気なんだよ」とは聞いていた。

しかし今の医学のこと。武漢ウイルス禍とはいえ、必ず治って
いずれ高座に帰ってくるものだと信じきっていたので、午後に
訃報を聞いたときの落胆といったらなかった。

---------------------------------------------------------------

私は一丁前の落語ファン・寄席ファンだと偉そうにしているが、
寄席通いを始めたのは2002年ごろ。生で落語を聴きだしたのは
2000年なのだが、最初は「紀伊國屋寄席」ばかりに行ってて、
ある程度、演芸の知識を仕入れた後に寄席に行くようにした…
という過去がある(隠すほどのことでもないが…)。

それゆえ、私は「仙三郎・仙之助」コンビでの太神楽の高座に
間に合っていないのである(涙)。仙之助師は2001年9月に
52歳で胃ガンで亡くなられたので…余談だが、その数日後に
先代の橘家文蔵師が亡くなり、その10日後くらいには矢来町が
亡くなった。

…というわけで、私が寄席通いを始めたときは、ちょうど
「鏡味仙三郎社中」を結成した直後だったということになる。

息子の仙志郎さん、そしてここ6年ほどはお弟子の仙成さんと
3人での高座を何度となく見てきた。訃報でも書かれていたが、
あの土瓶の曲芸は何度見ても物凄い、ある意味「神懸り」的な
技藝だったと言い切っていい。

--------------------------------------------------------------

そして、トップにも書いたが「寄席の吉右衛門」のフレーズ。

これ聞かなきゃ寄席に来た意味がない!!というくらい、寄席を
愛する人間にとっては、たまらないフレーズであった。

…過去形で書かなくてはならないのが、本当に辛い。

仙志郎さん・仙成さんが傘の曲藝とか、五階茶碗を演るときは
後見に回っている仙三郎師匠。いよいよ自分の番…となると、
サッと立ち上がり「さあ、お待たせいたしました…」と言って
両手を広げてお辞儀をし「私が寄席の吉右衛門です」と言うと
楽屋で前座さんがヨスケを「カーン!」と思い切り鳴らして、
軽くよろける…というのが、お馴染みのルーティン。

そのあとに大概「○○さん(←前座さんの名前)ありがとう」
と楽屋に向かって頭を下げて、スッと土瓶の藝に入っていく、
あの流れが好きだった。

そういえば、まだ「謝樂祭」が谷中の全生庵で「圓朝まつり」
だったころ、あの石段のところで仙三郎社中が太神楽を演った
ときに「寄席の吉右衛門です」っつったら、何十人もの人々が
一斉に「大播磨ァ!!」と、大向うよろしく、声をかけたのだ。
あの“音”が未だに忘れられない。

-------------------------------------------------------------

あと今でも覚えているのが、仙成さんの初舞台。…とはいえ、
あれが本当に初舞台だったのかは分からないのだが、数年前の
12月30日の「紀伊國屋寄席」のヒザ(たぶん6年くらい前)。
トリは確かさん喬師。

仙成さんが最後の花笠の組み取りのときに、緊張していたのか
数度花笠を落とした。私は客席で「あとで怒られるのかな?」
なんて心配していたのだが、そのとき仙三郎師匠が手を止めて
仙成さんを舞台中央に呼び、肩に手を回して「実は彼は初舞台
なんです。温かい目で見守ってあげてください」とかなんとか
言ったのだ。

紀伊國屋ホール中が、割れんばかりの温かい大拍手に包まれ…
全然関係ない私が、仙三郎師匠のお弟子さんに対する優しさに
感動して、客席で勝手に落涙するという…(苦笑)。

--------------------------------------------------------------

私が最後に仙三郎師匠を見たのは、寄席の定席ではない。
昨年の3月7日、上野精養軒で開かれた春風亭一左師匠の
真打昇進披露宴。

武漢ウイルスが騒ぎになりだしたころだったが、今ほどの
自粛ムードではない時期。

今となっては嘘みたいな3密で(苦笑)ごく普通に披露宴が
進んでいき、その余興が太神楽だった。
噺家の真打昇進披露宴に行かれたことがある方は分かるかと
思うのだが、おめでたい席なので太神楽が獅子舞を披露して、
いつもの曲藝を演ることが多い。

このときもそうで…一般のお客さまなら初席・二ノ席でしか
見られない、翁家社中と鏡味仙三郎社中の合同公演!

しかも…このとき私の隣の席は「らくごカフェ」オーナーの
青木さん。後ろのテーブルは超豪華な噺家席で、一之輔師や
窓輝・きく麿・たけ平・三朝・ときん・ひろ木…という面々!
大半が友人だったから、ホッとしたところもあったが。

この宴で、いつも通りの土瓶の至藝を魅せてくださったのが
仙三郎師を見た最後になってしまった。一之輔師と窓輝師が、
舞台に向かっていい間でツッコミ(副音声と言うべき?)を
入れるのが死ぬほどおかしくて、本当に楽しかった。確か…
窓輝師が曲藝を見て「俺たちは夢を見てるんじゃないのか!?」
とか大袈裟に言うと、一之輔師がクールな口調で「いつもさ、
寄席で見てるじゃん」とかなんとか言っていたかと(笑)。

--------------------------------------------------------------

噺家が亡くなるときもそうなのだが、藝人さんが亡くなると
その「藝」を全部あの世に持っていってしまう。その儚さも
藝の魅力のひとつだ…と言われたら、返す言葉がないが…。

74歳は、今のご時世では若すぎるわね。せめて、あと10年は
土瓶の藝を見たかった。「寄席の吉右衛門」が聞きたかった。

仙三郎師匠、長い間お疲れさまでございました。
心からご冥福をお祈りいたします。






お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  2021.02.01 22:10:55
コメント(0) | コメントを書く



© Rakuten Group, Inc.
X