|
カテゴリ:カテゴリ未分類
今年の8月中席初日の国立演芸場。板付きで現れた姿、そして
”キャラ的に全く似合わぬ高座での号泣”を見て、ふっと嫌な 予感が脳裏をかすめたのだが…。 その”嫌な予感”が、こんなに早く現実になってしまったことが、 本当に辛く寂しい。 今日の17時過ぎ、職場で訃報を聞いたときの衝撃といったら なかった。 享年72。あまりに早い別れに、脳の整理が追い付かない感じも 若干ある。 まさか木久扇・小遊三・好楽の三師匠より、この師匠が先に 逝ってしまうと、誰が想像しただろうか。 ------------------------------------------------------------- 私は昭和54年2月生まれ。六代目円楽(楽太郎)師が「笑点」に レギュラー入りしたのは昭和52年だから、私の世代にとっては 「出演していることが当たり前」という人だった。 私が覚えている最古の楽太郎師の記憶は、マラソンの瀬古選手の 物真似(苦笑)。 「笑点」40周年のときのDVDに映像が入っていたと思うが、確か 座布団10枚の商品で、桂歌丸師と桂才賀師(当時は古今亭朝次)が 皇居の周囲でマラソン対決するみたいなのがあって、確かそこで 瀬古選手の真似をしていたはず(「確か」ばっかの文章だけど)。 いつも本当に若々しく…共産党贔屓の左傾思想だった師匠だけども、 左傾政治ネタ(笑)や、先代圓楽師や歌丸師匠に対しての罵倒ネタ (苦笑)などのキレの良い大喜利での回答に、多く笑わされた人は 全国に何百万といることだろう。 ------------------------------------------------------------------ 後年は病との闘いであった。肺ガンが脳に転移して脳腫瘍になり、 今年の1月には脳梗塞…。この脳梗塞が、結局は円楽師の体力と 命を奪うことになってしまったわけだが、特にここ2年ほどの 顔色の悪さと瘦せ方は、どうしても気になるところがあった。 あのハイトーンの美声が、闘病の影響なのか、だいぶしゃがれた 声になってしまっていたのも、心配に拍車をかけた感がある。 ------------------------------------------------------------------ 私は当代円楽師の高座は、数えるほどしか見ていない。円楽党の 定席に行ったことがないというのもあって、ホール落語と新宿の 余一会、あと立川談志師匠の追善「談志まつり」のゲスト…ぐらい だったように記憶している。 「談志まつり」のときは、トークが面白かった印象がある。確か 談志(松岡)一家がハワイに行った際、ハワイに別荘があった 円楽師が、無理やり(?)コーディネーターを任されて凄い目に あった…とかいう話だったと思う。 家元は泳ぎが得意で、一度海に入ると3~4時間は泳ぎ続けても 平気だったらしい。その姿を円楽師と、家元の娘のゆみこさんが 2人でずっと見ていて…監視の形だろう。 数時間経って上がってきた家元。海を指さし円楽師に対して急に 「あそこに亀(ウミガメ)がいましてねェ…」と言ったそうな。 んで、円楽師が間髪入れず「それじゃあ『子別れ』ですよ!」と 返したら大喜びされた…とか、そんな話だった(笑)。 ---------------------------------------------------------------- 政治力を強く発揮された師匠でもあり、北海道や福岡などで 大きな落語イベントのプロデュースを成功させてきた。 「落語界をひとつに纏める」という野望……言葉ぁ悪いか。 大きな望み…?何でもいいが、とにかく野心みたいなものが 常に身体からギラギラ放出されていた…みたいな印象があり、 実を言うと好印象じゃなかった節もある、私ン中では。 だからこそ、冒頭に書いた8月の姿を見て強いショックを 受けたのだ。あんなに若々しかったのに、病気で急激に 歳を取ってしまった…という…。これは悲しかった。 -------------------------------------------------------------- 「笑点」が寂しくなる…ということ以上に、個人的には毎週 欠かさず見ている、TBS(MBS)の「プレバト‼」の俳句が 寂しくなるなぁ…という悲しみのほうが強い感じがする。 夏井いつき先生に「賄賂」としてお菓子を贈って、周囲から 「ズルいぞ!」と野次られる件。「笑点」とは少し違う味の、 立川志らく師匠との罵倒合戦。噺家ならではの軽妙な俳句…。 そのどれもが、もう二度と見られないほうの悲しみが深い。 志らく師が追悼コメントの中でも触れていたが、20年以上前 「笑点」を批判していた時期に、新幹線の中でメンバーと 乗り合わせ気まずい空気になったとき、円楽師があんパンを あげて、涙が出るほど嬉しかったという話。 円楽師は、自分の師匠と共に談志・歌丸の両師匠も崇拝して いたから、志らく師にも格別の配慮をされたのだろう。 毒舌だの腹黒だのと言われていたが、そういう人間的な 悪い話を、ひとつも聞いたことがないのが円楽師だった。 -------------------------------------------------------------- 七代目圓生を継げなかったこと、落語界統一(そういや夏に 「統一協会!」とか言ってたな)が果たせなかったことは、 本当に心残りだったと思う。志半ばの無念の死…というふう にも受け取れるかもしれない。 六代目円楽師のご冥福を、心よりお祈り申し上げます。 談志家元と先代圓楽師匠を筆頭に、歌丸・小圓遊・圓窓・ こん平・松崎真という「笑点」メンバーもお待ちかねです! また、あの世で新たな「罵倒合戦」を! お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2022.10.04 23:26:30
コメント(0) | コメントを書く |