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Headline News

2024.01.09
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カテゴリ:カテゴリ未分類
まさか…この方の追悼文を、これほど早く書くことになるとは
思わなかった。ホントに今年の1月はロクな報がない。

今日の1830分前、携帯に入ってきたニュース速報を見て、
思わず「ええっ⁉」と大声を出してしまった。
…と同時に、昨年8月だったか膠原病に罹患したニュースを
聞いて以降、何の続報もなかったので「体調悪いのかな?」と
気になっていたところはあったから、訃報を聞いて少しだけ
「やっぱりね」という感情も湧いてきた。

​​美貌と独特のハスキーボイス。数多のヒット曲を持つ演歌の
女王で、様々な
バラエティー番組などでも活躍をされていた
八代亜紀さんが、
昨年1230日に急逝していたことが分かった。
享年73

訃報によると、膠原病の一種で指定難病でもある「抗MDA5
抗体陽性皮膚筋炎」と「急速進行性間質性肺炎」で8月から
闘病されていたそうだが、年末に体調が悪化したらしい。

勝手な想像で書くことをお許しいただきたいが、おそらく
八代さんの命を奪ったのは「間質性肺炎」のほうだろう…
と思う。ステロイド剤も大量に服用していただろうから、
抵抗力も弱まって、いろいろ全身が弱ってしまったのかも
しれない。

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熊本県出身で昭和46年歌手デビュー。昭和48年「なみだ恋」が
大ヒットして「第24回紅白」に初出場。
その後も「愛の終着駅」「もう一度逢いたい」「おんな港町」
「舟唄」と数々の大ヒット曲を飛ばした。
昭和55年の「雨の慕情」で見事「日本レコード大賞」を受賞。
他にも「愛ひとすじ」だとか「花(ブーケ)束」などの佳曲に
恵まれた方だった。

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私が八代亜紀という人に最初に受けた印象だが、いわゆる
「デコトラの運ちゃん」に絶大な支持があった人…という
感じだった。
よく「八代観音」という文句と共に、デコトラの荷台の
後ろに、あの美貌が描いてあった記憶がある。

まあ正直に言えば、東海林・藤山を筆頭とする戦前~戦中の
歌手を愛する身からすれば「上品な歌手」と言えない感じが
かなりあった。中学~高校ぐらいまではね。

その考えが大きく変わったのは、やはり大人になってから。
食べ物の好みと同様、歳を経ると歌の好みも少しずつ変わり、
単に見た目のみで受けていた印象の奥の、本質的な歌の巧さや
質が解るようになって、八代さんの凄さが分かってきた。

今から20年ぐらい前まで、12月26日~28日辺りに、NHKの
BS2で、13時ぐらいから往年の紅白をノーカットで放送する
「思い出の紅白歌合戦」をやっていた。

私も録れる回は必ず録っていたが、今でも素晴らしい歌唱だと
思っているひとつが、第28回(昭和52年)大トリの八代さん
「おんな港町」。
舞台奥から登場した際、嫉妬した誰かにマイクコードを激しく
踏まれるというハプニングはあったものの、当時の紅組司会の
佐良直美の抜群の紹介で、初の紅組大トリを華やかに飾った
テークを見て「八代亜紀ぁ凄ぇ!」となったのを覚えている。

あと今から12~13年前ぐらいだったと思うが、日本テレビで
土曜の夜に極楽とんぼの加藤が司会をしていたトーク番組に、
山内惠介と共に出演したとき「歌手は余計な感情を込めずに
歌えばいいんです」「作詞家の先生が書いた詞を、作曲家の
先生がつけてくださったメロディーの通りに歌えば、十分に
感情は入っているんで」と言っていたのが忘れられない。
「あっ!藤山先生と同じようなこと言ってる!」と非常に
ビックリしたのだ。感情過多に歌う人だと思っていたので。

生の舞台は…昨日のメイコさんの追悼文でも書いたが、近年の
「日本歌手協会・歌謡祭」では常連で、毎年「舟唄」は勿論、
「なみだ恋」とか「もう一度逢いたい」を目の前で何度となく
聴くことができた。
理事長と一緒に司会も何度かされていて…上手いとは言えない
司会ではあったが(両方ともね)、愛嬌と温かさのある司会を
されていたっけ。熊本地震のチャリティーのときだったはずだ。

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また歌謡番組が寂しくなった。それこそ、戦前~戦中~戦後の
お歴々を見送るたび「もっと歌っていただきたかった」という
コメントを言っていた八代さんが、こんなにも早く”言われる
ほう”に回ってしまうとは…。

中村メイコさんもそうだが、どうしても亡くなったという意識が
湧いてこない。「歌番組にいるのが当たり前」の方だったので。

いくら難病とはいえ、ちょっとだけ休んで、今年の「歌謡祭」で
盛大に復活…みたいな絵図面を当たり前のように考えていたので
(歌手協会の理事長だって同じように考えていただろう)、もう
今年からいない…ということが全く考えられない。

八代亜紀さんのご冥福を、心よりお祈り申し上げます。





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Last updated  2024.01.10 21:29:50
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