カテゴリ:たわごと
プロフィールにも書きましたが、私はドラゴンファンです。その経緯はまたの機会に。
1991年7月、日本プロ野球実行委員会・協約特別委員会は野球協約第83条のうち、2項目を削除しました。 1.医学上男子でない者 2.不適当な身体または形態を持つ者(全く意味不明です) 昨秋のドラフト会議で、ドラゴンズは6巡目にある選手を指名し、獲得しました。(当時)三菱重工横浜硬式野球クラブ所属の「石井裕也(いしい・ゆうや)」投手(23歳)です。 現在は2軍にいますが、既に1軍の公式試合では2勝1敗の成績をあげています。ジャイアンツの清原選手との対決も望んでいて、見事ライトフライに抑えました。 彼は重度の感音性聴覚障害者です。左耳は全く聞こえず、僅かに聞こえる右耳に補聴器を付けてプレーしています。アマチュア時代は、次々と三振をとる姿から「サイレントK」と呼ばれていました。プレー中は「集中したいから」と補聴器のスイッチを切っていたそうですが、プロ入りしてからは「特別仕様」の補聴器を使い、スイッチも入れてプレーしています。 長引く不況で企業チームが解散したり、休部する中、彼の所属していたチームも例外にはなりませんでした。同じ系列の名古屋から誘われたものの、それを断り残留し、クラブチームで野球を続けていました。 彼のプロ入りには御両親、とりわけご母堂が猛反対だったそうです。石井投手の職場での身分は「身体障害者雇用枠」で「終身雇用」が保障されていたそうです。しかし、彼の「プロの世界にチャレンジしたい」という熱意を認め、入団となりました。 さて、なぜここで私が、長々と前置きを書いたり、一見関係なさそうな「野球協約」をあげたかと言いますと、「2」が残っていたとしたら、果たして彼はドラフトで指名されたか、プロ入りできたか、ということです。 以前は高校野球は「ろう(聴覚障害者)学校」の高野連加盟を認めていませんでした。「耳が聞こえないから危険」という理由でした(この辺りの経緯は、山本おさむ氏の「遥かなる甲子園」をご参考に)。 今、彼は社会人時代に使っていたフォークを復活させ、手応えをつかみつつあるようです。フォークに磨きをかけ、また1軍に上がって欲しい、勝ち星をあげて欲しい。 そして何より私が望むのは、連覇と日本一です。 余談ですが、昨年は私の誕生日に優勝が決まりました。何よりの誕生日プレゼントでした。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
Jun 3, 2005 01:26:08 AM
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